twitter過去ログ(備忘録)
2013
うーむ、一昨日年賀状を終わらせ、昨日今日と大急ぎで大掃除をして「歯ブラシの掃除力マジヤバイ」とか馬鹿なことを書こうとした気分が吹き飛んでしまった。さようならアメリカ、さようならニッポン。私たちはどこまでそう言い続けなければならないのかわからない年の終わりに。
大瀧詠一亡くなったのか!
川島幸希『国語教科書の闇』(新潮新書)読了。筆者の述べるように野中潤に寄るところ大だと思うけれど(野中潤の著作はやくまとまらないかな)、定番化に少なからず経済の問題があるという発見(とは言っていないが)がありよかった。ルポとしての価値はある。
RT @janesu112: エイドリアンじゃなくて自分がロッキーだから #102個目のプロポーズされない理由
く↑まモン #top954
劇場版の『まど☆マギ』を、事前情報をほとんど入れずに観てきた。バトルフィーバーJっぽくてよかった。
謎に包まれた存在・サンタは、子どもに夢と希望と商品獲得の喜びを与え、思春期の青年に懐疑心と寂寥がもたらす成長を与え、企業にいくばくかの利益をもたらすという、夢の思念体だということになる。
私は数年来恐怖していた。サンタシステムが子どもに露顕した瞬間を想定してだ。だがもうこの恐怖の必要はない。露顕の瞬間、「サンタが俺の肉体と精神を用いて行ったことだ」と言えばよいからだ。だがこの『世界の秘密』に気づいてしまった俺は、サンタに消されるという新たな恐怖に怯えることになる。
サンタクロースの存在を疑う者こそ、サンタクロースの掌で最も踊らされている存在にほかならぬ。──この真理に到達した私はいま、虚脱感に襲われている。私は何もわかっていなかった…。
今日突然に天啓を得た。即ち、サンタは実在する。間違いない。ただその実在の在り方は私たちが議論する際の前提となるような形式ではない。サンタは、大人の無意識に侵入し、子どもへの愛情と商品購買の義務感を生じさせ、しかしあたかも主体的に愛し購買したかのように記憶操作する、思念体なのだ。
詩人にして研究者・藤井貞和という人物を、折口信夫との関係性のなかで論じる人が今後出てくるだろう(ときどき文体に折口が憑いているのではないかと思わせる瞬間がある)。それを読んでみたいなあ。複雑すぎてわくわくする。
藤井貞和編『折口信夫古典詩歌論集』(岩波文庫)読了。藤井さんのセレクトが絶妙。「評価の反省」が殊に良かった。それにしても、やっぱり折口への対し方(というほどたいそうなことではない)は、十年ほど前とは変わってきている自分がい。
サザエさん音楽大全、さらに。堀江美都子の火曜サザエさんの主題歌はふだん口ずさむぐらいには覚えているのだが、「ハッピーデイサザエさん」(松尾香)は完全に忘れていた。うわ懐かしい、という気分。嬉しい不意打ちや。
ちなみに高校生のとき、高3予餞会で全校生徒を前に部活ごとに演し物をするというとち狂った企画をやった年があるが、我が部は俺と友人の二人でステージから「サザエさん一家」をマイナーコードで弾いて歌うということをやったことをいま突然思い出した!
「サザエさん音楽大全」が届いた。「レッツゴー・サザエさん」と火曜サザエさんの歴代の主題歌が収録されているという報で即予約していた(一度発売が中止になってがっかりしただけにうれしさは一入)のだが、なんと「レッツゴー・サザエさん」のoff vocalも入っている! 感涙。
なんとなくダラダラとニコ動でスクーデリアエレクトロ関連を見ていたら、「better days」に結婚式の退場でBGMにかけた、というコメントに、自分も自分も、と数件コメントが付されていた。そして何を隠そう俺もBGMにしたのであった。同じこと考えるもんです。
RT @takuya1975: ヘイドン・ホワイトの『メタヒストリー』翻訳刊行が三年前に告知されたまま立ち消えになっている件だが、先日あるシンポジウムに参加したところ、ある発表者の言によれば、現在校正段階にあるとのことだった。何にせよ着々と進んでいるようで、慶賀の至り。
藤井貞和編『折口信夫古典詩歌論集』(岩波文庫)をダラダラ読み進めているが、なんかいいな。昔みたいに構えず読めている自分がいる気がする。折口が歌を評価するときの「わるい」の中身をつきつめるといろいろわかることがあるような気がするが、誰かがやってるんだろうな。
RT @kasamashoin: なんと! 【日曜あさ10時~TBSラジオ(AM954)「安住紳一郎の日曜天国」。11月24日、11時台のゲストは、和歌研究の第一人者、東京大学大学院教授・渡部泰明さん。番組サイト→ http://t.co/CeYqrYwK8H #nichit…
私が奥田民生「さすらい」を愛するのは、坂口安吾が何度も繰り返す「暗夜の曠野をいく」ことの現代的翻案であるからだ。そしてそれは紫の上や浮舟たちの「さすらひ」を、能動の方へと背負うことの宣言でもあるからだ。
大江初期の執拗な、抽象的性的表現(notセックス描写)は、そのしつこさにおいてキライではない。
津村記久子『ポトスライムの舟』読了。面白かった。最初は随分図式的だと思ったが、家に子連れの友人が転がり込むあたりから話に引き込まれていったな。同時代性と普遍性が適度に入り交じっている感。
金で行われていた教育が欠落していることの影響は、これからさらに大きく出てくるでしょう」。似たようなことは佐久間正英氏か誰かも言っていたような気がする。
レコード会社に体力がなくなって、デビュー前のバンドに教育ができない弊害にも言及。「教育はどうしてもコストをかけなければできないところがある。僕らのようないい年のおっさんは自分のやり方次第でどうにでもなりますが、これから若者が新しいものを作っていく上で、かつてはメーカーが投入する資
なって突然バンドを始める」「そういう子に理論的な指摘をすると、「いや、僕のフィーリングはこうなんです!」なんて、変なつっぱり方をされてしまう(笑)。これは算数や理科のように、学問として音楽を学ばずに成長してしまったことの弊害です。」
(承前)「ピアノやヴァイオリンが高等で上品な“習い事教育”として捉えられている」「日本では、学校は音楽教育にまったく重きを置いていないし、楽器が身近で気軽なものじゃなく、ハードルが高いものになっている。つまり、何の教育も受けず、幼いころから楽器と親しんでもいない子たちが、高校生に
下の石田小吉のインタビューおもしろい。>「リズム隊」という言い方がよくなくて、リズムやグルーヴは本来、ヴォーカルによるところが大きいんです。一番リズムに気をつけなければいけないのに、「リズム隊」という言葉で、リズムをドラムとベースに押し付け、ヴォーカルは知らん顔。
デビュー20周年の鬼才・石田ショーキチ登場 Spiral Lifeと90年代の音楽シーンを振り返る http://t.co/v20VmurCpb @realsoundjpさんから
RT @lo_nlo_kl: 3人ともすごく真剣に下の話してはる #われらラジオ世代 #jolf
RT @ultraact: 明解な答えが返ってこないんだ #jolf
RT @rusiruhuru: タモリ「あんまり社会と関わりたくない」w #jolf
RT @machi_cco: タモリ「勝手にやってるから勝手に見てくれたほうがいいんだよね」 #jolf
RT @mwk_r: あんまり社会と関わりたくないw #jolf
RT @geniuskatochan: タモさんの特番を聞いています。きょうで確信しました。やっぱりタモさんはラジオに帰ってくるべき人だと。ダイナマイク以降しか知らない世代ですが、自由奔放なラジオを期待せずにはいられません。 #jolf #gogoban
RT @nakano4plaza: しかし、タモリさんと久保・能町さんコンビの絡みが凄いな(;・∀・) #jolf
RT @takakuratch: 「キッチンがゆく」批判wwwww #jolf
RT @tanabeyuuta1234: タモリ倶楽部ぐらいほのぼのしてる(笑) #jolf
RT @gmksky: 現在で久保・能町をセレクトするのが何か凄いw #jolf
お笑いナタリー - タモリのニッポン放送60周年記念番組、本日から3夜連続 http://t.co/9E89Ik1G80
そこで中島らも「明るい悩み相談室」を知り、「啓」という署名の人の日曜欄のコラムもおもしろがる。そして夕刊のコラムで鴻上尚史という人を知る。そういうなかで、人がいっけん論じないようなことを論じる楽しさを知ったのだ、たぶん。
天野祐吉死去。どこかに書いたが、小3か小4か、母親にとしまえんのCMに触れた「私のCMウオッチング」を勧められて家庭欄を読み始めたのが新聞を読むはじめだった。自分の新聞好き、批評好きはたぶんここから始まっている。感謝。
@yuming17 うん、面白い。面白い要素を一つひとつあげていくと、その一つ一つは場合によっては短所にもなりうるんだけど、ぎりぎりのところで長所として成立させている、そのバランス感覚がよいんだな。「サンデー」だとこういうまんがが成立するんだよね。作者と編集の勝利だと思う。
もちろん、八軒父がトイレのアレをもってヌッと立っているという構図は、6巻最後で過労で入院した八軒の病室を訪れる八軒父の構図のセルフパロディ。こういうのを入れてくるあたりも好きだな。『銀の匙』でちょっとした文章書きたいな。
『銀の匙』9巻に、 八軒「豚汁うまかったぞ あれ麦飯とけっこう合うのな」わはは というコマがあるのだが、これ、『こち亀』の両さん引用じゃないかと疑っているんだけど、何のコマだったか思い出せない。全然違うかも。
RT @janesu112: 毎度毎度、自著の話で申し訳ございません。が、Amazonはどういう基準でジャンル分けをしているのか、すごく気になります。今度は「倫理学・道徳」のカテゴリーに入りました。『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』 http://t…
この立場からのこういう本って、本当に発明ではないか。ちょっと気の利いた識者が世代論やら現代社会論のマクラに取り上げそうでそれはちょっと読みたくもあり読みたくもなし。
ジェーン・スー『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』読了、と言いたいのだが、まだ読みきれていない。徐々に読み進めているがそれが楽しい。しまおまほの言うとおり、「比喩ではなくまさかホントに101あるとは…」という嬉しい悲鳴。
週刊誌での長期連載で、きちんと作劇法を敷く(もちろん進行によって最初の設計図はずれていくだろうけど意志を通したりうまく変容させたり調整したりしながら)のは、本当に読み手として嬉しいことだ。もちろん行き当たりばったりの作品だって名作は名作だが。
『銀の匙』の、ゆうきまさみ『じゃじゃ馬グルーミンUP』との通底はたぶん嫌というほど言われていると思うんだが、ぱくりとか逆にいや似てないとかじゃなくて、その作劇法と、「手」をつなぐという記号の使い方、そして問題意識という点で、正しい後継者だと思う。
時間がぽっかり空いたのでずっと観たかった「パシフィック・リム」3D吹き替えを観た。うおーうおーうおーしか思っていなかった気がする。もう30分短ければ子どもを連れて行く。でもその30分が失われるのは耐えられないほど大人の我が身には楽しかった。
小島慶子のキラキラの辞め方は随分ナイーヴだなと思ったが(褒めてはいない)、凄くカテゴライズしにくい小島慶子なる人物を勝手にカテゴライズして(例えばフェミとか「オジキ」とか)そのカテゴリーから外れたらdisるという人たちに苦しんでまで耐える気はなかったんだろうなとは思う。憶測。
小島慶子はそれこそ全然違うのではないかな。ジェーン・スーは(少なくともメディアの上では)いったん冷めてみせている。小島慶子は冷めたふうを装っているけれど冷め切れないし冷め切らない。いざ起こるその情動を抑えないことを良しとしているフシがある。その好悪はクッキリ分かれると思う。
上野千鶴子と比較している意見があってそれはおもしろいが、私は全然違うと思う。上野千鶴子は変革を目指している。ジェーン・スーは分析をエンターテイメントしている。どちらが優か劣かではなく、俺には全然違うものに見える。 #utamaru
ジェーン・スーも(宇多丸も)「男ってこうなんだろ」「女ってこうなんだろ」という(無自覚かつ無邪気な)幻想を、きちんと処理したうえでハナシができる頭の良さがある。それがわかっていない(経験値or読解力のない)書き手の意見がTLに紛れていて、なんだかなと思う。(じゃあTL見るな俺)
下の娘がベッドに入ってからもスンスン泣いているのだが上の娘に言わせるとそれは夕方観た録画の『アイカツ』でいちごちゃん?がアメリカに行ってしまうからだそうである。だいじょうぶすぐ帰ってくるよ、とは言わなかった。
RT @Takashi_Shiina: 古い言葉ではたしか「鬼」には「霊」の意味もあったし、「鬼怒」と語呂が合致していたのは意図しなかったとはいえ偶然ではないと思う。企画に何かが宿るときってのはあるしね。
RT @Takashi_Shiina: もともとは芥川龍之介だったかの恋人の名前と、奇々怪々の巫女さんが「小夜」だったので「さよちゃん」にしようと思ったのだけど、直前にうしとらに同じ名前のキャラが出てきたので「じゃあ・・おキヌ」って命名。単に「昔のヒロイン風。田中絹代?」って連…
RT @Takashi_Shiina: 軽巡・鬼怒をゲットしてふと思ったが、「鬼が怒る」ってすごく霊的な力のある名前だよな。「おキヌ」は「お絹」のイメージだったけど、GS美神の世界を考えれば「鬼怒」であるべきだろうなあ。
日常の転倒モノは、とにかくめちゃくちゃ俺の好みの切り取り方。(「スタイリッシュ目玉焼き」タグがついていたらしいな。わかってらっしゃる…)
牛乳を飲んだら背が伸びずに牛乳パックが伸びる、とか、天気予報で台風マークをドラッグするとスタジオ内に雨が降る、とか(しかも落ち着いて傘を差すのが良し)、そして、割れたタマゴをフライパンでテニスのように打ち返すスローモーションで目玉焼きになる、とか(アイデアもアニメも凄い)、
しつこいが、Making of "R"「日本橋高架下R計画」 http://t.co/qeG5HDeL3Q
探偵ナイトスクープの「素晴らしき車椅子の旅」を、感涙必至の感動名作と位置づけるのはたぶん違うのであり、ちょっとおもろいさわやかな佳品とすべきで、そのことこそが放送賞受賞に値する価値なのだ。
深夜にツイートして感性などと恥ずかしい言葉を使ってしまった。恥じ入りながら寝る。
(承前)それと、発想は80年代なんだよなこれ。80年代の発想、90年代の文脈(の無さ)、00年代の小ネタ、10年代の技術。かしらん。そのノスタルジーがサビのせつな明るい調にあう。ディレクターは「Vanishing Point」の細金卓矢。
すっげえぼんやり逃避的に「日本橋高架下R計画」 http://t.co/DOpjT8iGkP というボカロのMVにたどり着いたが、コメントの温度がおよそ自分の感性と異なってて絶望した。年をとった…。文脈のごった煮感がまず最高だと思ったんだが。
これマジか。感涙しか出ない。ベースラインを刮耳して聴け! 「戦え!ウルトラマン」(off vocal Ver) http://t.co/W35yZkgE28
安住本人は、その発言のそれこそ行間を読ませようとしていて、彼自身は言語の変遷・変容を容れてこその学問だと思っているはずなので「く↓まモン」派にちがいないのだな。だが長いものに巻かれてみせているところが真骨頂。 #nichiten
く↑まモン・く↓まモン論争は国語に関わる者必聴。たぶん笠間ツイッターもリツイートするであろう。ちなみに、「漫談」(サンキュータツオ。わかってらっしゃる)のなかでうやむやにしているが、(続く) #nichiten
RT @39tatsuo: 本来であれば「くまモン」の頭高アクセントは、普通名詞だからであって固有名詞的ではない。広く日本ではいま普通名詞的発音が定着しているけれど、これが「売れた人」になると、プロレス愛好家の言う「猪木さん」みたいな平板化アクセント化する可能性もなくもない!!…
RT @39tatsuo: 今日一日考えて、「くまモン」のアクセントは、平板アクセントを支持することにした。これは日本語の潮流にもロマン主義の例外があると面白いと思ったからです。「人口に膾炙すると平板化」という潮流とうまく合流できれば可能な気がする。今後積極的に使用する人を増や…
RT @nichiten954: TBSラジオ 安住紳一郎のポッドキャスト天国(9月15日放送分)「血で血を洗う"くまモン"勢力争い」 http://t.co/ranPIEb1xn #nichiten
しかし安住はホントに「VHS・ベータ戦争」「角福戦争」の喩え好きだな。 #nichiten
(うーん? 80年代ならまだしも、いま「業界人」などという「他者」って存在するんだろうか???)
五輪開催が東京に決まった。良いとも悪いとも思わないのだが、それにしてもよく東京なんて選んだな…。
ニコニコでよくある「○分でわかる~~」って、何か違うんだよな。もっと、受け狙いじゃなくて、YMOの『浮気なぼくら』所収の「以信伝信(予告編)」とか、『大岡越前』再放送のスポンサー紹介の5秒くらいの主題歌つぎはぎのものとか、そういうのが聴きたい。
いっかおやぶんのみなごろし、とか、この人の頭の構造はどうなってるんだろう。
1位は『B型平次』の「カナブン!カナブン!/あっカナブン!」/「満足か」の、「満足か」とその温度と平次の格好と同時に話し始めるハチ、というそのひとコマ。グルーヴの果てにあるこのひとコマ!
2『忍者無芸帖』の藩名を言わずに舌を噛みきったように見える曲者の話(オチが今回掲載されているが)。これをベスト3に入れるとライトなファンだと思われそうでイヤだが、好きなものはしかたがない。
いま思いつくいしいひさいちベストスリー。3『経済外論』小沢一郎が天の岩戸の中編。朝日夕刊でさらりとよくその人名を党首と一緒に出せるな、という素敵なヒトコマも最高。いしいがたまにやる集団ワーワー感が堪能できる。そのあげくのオチがくうだらない!
でも『B型平次』は人に勧めて愉楽を共有したくはない。自ら『B型平次』と出会うくらいの才能がある人としか共有したくはない。そういう意味での才能を持った人がこんなにいることを知れたこの本に感謝したい。
『文藝別冊 いしいひさいち』をようやく読む。労作。『B型平次』がシリーズものでは最高傑作、という作者の弁は、『B型平次』の面白さを他人とわかちあったことがない俺としてはたいへんに嬉しい。
『まどマギ』に関しては、上条くんがさやかに退院したことを全然知らせてない展開の部分で、この作品は信用できる、と思ったことでした。欲を言えば、上条くんの音楽の才能が実は全然客観的にはたいしたことないという展開でも良かったぐらいだ。
工場や建築現場などの描写のフリになっていることは重々分かるが、清潔でのっぺりとした未来的な学校や家や家族の描写は、超ニガテ。最初の数話は、魔女をめぐる描写や演出があまりに素晴らしすぎるから何とか見ていたようなものだ。見続けてよかった…。
『まどマギ』を『ジョジョ』との関連で語る言説はきっとうんざりするほどネットにあるんだろうなあ。ちくしょう、俺は『まどマギ』を『源氏物語』との関係で述べてみせたい。嘘です。そんな時間はありません。いやまて、「本当の最後の浮舟─『まどか☆マギカ』論」とか本当に誰か書きそうなものだな。
これまでネットで『まどマギ』関連っぽい記述とかTLとかは真っ先に見ないようにしてきたという甲斐があったものだ。
やるべきことはいくつかあるのだが、ようやく少し時間がつくれるようになった。そこでとりあえずHDDに残して後回しにしていたいくつかの作品を見はじめている。まず、『まどマギ』。なにこれ超おもしろい。
大勢で打ち上げているところに、帰る人の見送りに少人数で立ったときの往路の連帯感、さらにその復路の連帯感。こんなこと言語化した人みたことないよ! #utamaru
RT @janesu112: 中年女向けファッション誌が軒並み現実感なくて厳しい件(私見)。中年女の「ちょうどいい」が見当たらない。尖り過ぎず保守過ぎず、若づくりではなく若々しさと愛嬌が滲む感じ。年とらないように息止めてる我慢大会や、年とったら金も文化も豊潤スタイルや、誰かの嫁…
「カメラ!カメラ!カメラ!」みたいだ>「メガネ!メガネ!メガネ!」 #utamaru
「駿特有のゴーグル男子萌え」 #utamaru
そう考えると、眼鏡込みでのハンサム・美人と、眼鏡をかけているけど外すとハンサム・美人、という矛盾する二つの記号性を眼鏡は持っていることになるのかしらん。 #utamaru
『シティーハンター』の槇村を眼鏡男子として挙げられたツイートを見て思ったが、北條司は『キャッツアイ』で浅谷を「ブス」として扱わせている。つまり、北條司のなかでは、眼鏡は美醜でいえば醜なんだな。だけどもそれを外すと実は美人・ハンサム、という記号。 #utamaru
緑は女の子!と無意識に思っていた俺は完全にパワーパフガールズ脳だった。
出勤まぎわに遠目で観ていた「クックルン」の緑の子を男の子だと知って衝撃をうけている。確かにボーイッシュ設定にしては容赦ない男感(?)だなあとは思っていたのだけど…。
密通の罪によって配流された筑紫(ちなみに数日後に雷雨)から<外部>の力(=中国マネー)を得て中央に復帰し人臣の極みに登る指原某とはそれなんて光源氏。
慄然とした。フォローしていただいたことももはや忘れて思い出せないが、ほんの少しでもそこに関わりはあった。ご冥福とご家族の今後のご多幸をお祈り申し上げる。こういうことは見えないけどきっとどこかであったことでもあるのだろう。
RT @moretazan: 2010年6月3日朝、眠ったまま亡くなっていた主人。あれから3年。当時はこんなツールがあることも知りませんでしたが、この場を借りてその節はたくさんの方に送っていただきありがとうございました。ターザンは今日も空からみなさんの幸せを祈っていると思います…
私の通勤の友の「アシッドたんぱ大放送」についてつぶやいたら高野政所さんと浮き輪さんからリツイートしてもらった。嬉しかった。もしもう一度見てもらえるのなら伝えたい。「俺は『パイナップルアーミー』が大好きです」と。
たまたま行き着いたthe brilliant green「Bye Bye Mr.Mug」。 http://t.co/eX1KUtJfYo 別にブリグリのファンではなかったけれど、あの時代の空気感が攻め寄せてくる…。深夜むさぼるようにエッジっぽい番組ばかり見てた大学生の終わりごろ。
さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ(『長いお別れ』)
さよならする夜の東側/ゆっくり そう ゆっくり暮れる/隣り合わせの明日を待つだけ(夜の東側)
オフ会感覚から始まる大学でのつきあい…。ゾッとしないぜ。もっと、こう、なんだろうな、ガツンと他者と出会ってほしいんだよな。心配することでもないのかな。
RT @kaerusan: YMOの「TAISO」では、トラメガの掛け声がシミュレートされていたけど、あの曲からはじつに「体操」の禍々しさが伝わってきた。
RT @rewichi: タマフル音楽D 小荒井氏は俺が前回タマフルに出させてもらった際、アルカイックスマイルで俺の持ってきたDJやる機械の中音域のツマミを正しい位置に戻してくれた人物、平たく言えば神です
のべつまくなく話しかける老男性客に愛想よく相手をする女性店員。「ホスピタリティも大変だな」と思ってたら、入店してきた同世代の身なりの良い一人客を隣に座らせた。黙りがちになった。巧いな…。〈社会〉に引き戻したのだ。これが真のホスピタリティか…。
駅7(!)を発表するごとに地味にBGMが変わる点に、その必要があるのかと思いながら聴いていた。むろんいい意味でだ。 #utamaru
ライムスター『ダーティーサイエンス』購入。やっぱり「ゆめのしま」が良すぎるなあ。「音速以上で回転中/時速十万キロで公転中」の譜割りが最高。
帰宅したら長女が俺に「今日テレビ見てたら社長が出てたよー!」というのだが、これは劇団ひとりのことだとピンときた。俺が『ウレロ』ばかり見ているからだ…。(相方は苦い顔)
(承前)なお以上の私見は、「受験制度自体のドラスティックな改革」は度外視して述べたのであしからず。怒りにまかせて書き殴ってしまった。仕事に戻ろう。
(承前)ただでさえ国語の「とれなさ」で、理系の平均は文系より低めであるのだから、思い切って、基本的には誰でもぼちぼちとれる問題を目指すようシフトチェンジすべきだと私は思っている。授業をまともに受け、日常的にコミュがとれる力があれば、160点とれて当たり前、という設定に。
(承前)少なくとも過去2、3年の、三大予備校のセンターパックとZ会あたりのセンターパックはチェックしないのか? 本当に馬鹿じゃないのか? 近世の未見の、でも未見には未見の理由があるような変な文章を、重複を避けて出題するのも芸がないとは思うが、今回の失態的出題の愚はその比ではない。
(承前)長くなったのでもうやめるが、あとは『松蔭中納言』。良問だと思うが、とにかく難しい。長い。20分じゃ無理だよこれ。そして、Z会のセンターパックが、この部分どんぴしゃだったと聞いて、怒髪天を衝いたよ私は。作成者にまともな高校教員はいないのか!
(承前)受験で使えるかどうか、なのだ、残念ながら。特に小説は文学部以外、ほぼセンターでしか出題されない。そうした現実と向き合いすりあわせを計りながら(謀りながら)少しでも国語の授業の内容を良くしていこうとしている志をズタズタにしているのが今回のセンターだったというと、言い過ぎか。
(承前)まだ、まともな評論+牧野信一、または、小林秀雄+まともな小説問題、なら良かったのだ。いや、まともな評論+小林秀雄、でも面白かったかもしれない。だが、小林秀雄+牧野信一は、無い。受験問題は受験問題、と考える向きもあろうけど、実益という観点での子どもにとっての「国語」の価値は
(承前)どこぞの文学青年がちょっと方法を意識して書いてみました、という程度の作品を持ってきて、親子の葛藤、小説内小説の面白さ、といった文学的価値を僭称したような設問を作るな。女性一人称小説と大正・昭和初期の小説を持ってきた近年の流れは良いと思っていたのだがね。
(承前)次に牧野信一。これは一言で済む。「これを出すヤツは文学殺し、国語教育殺し。」牧野自身、安吾の先生ぐらいにしか私は評価できないし、しかもその初期作品。高校生はこの問題解いて、牧野やその周辺の小説を手にとってみよう、とは絶対に思わない(面白半分以外)。
(承前)これは「脱ゆとり」でも何でもない。むしろ「ゆとり」はエリート特化の謂であるのだから、この大問は「疑似ゆとり」かな。偏重した文学趣味エリートに特化。いや、東大第四問や京大・阪大で出すのなら別にいいのだ。むしろ出しても面白いと思う。だが、センターの第一問で出すのはあり得ない。
(承前)もちろん私も、そうしたパターン学習で身についたものを読解力などとは言いたくない気持ちはある。国民国家の過去問を予備校や進学校で繰り返した首都圏の生徒ばかり東大に行く状況への危惧もわかる。しかし、20万人受験するセンターで、苦手な子が全然とれない性質の問題だけ出すな。
(承前)そして文学好きな大人は「この程度の文章」が「読めない」今どきの子どもの読解力の低下を嘆くだろう。理系で、どんなにがんばっても行間を読むのが苦手で、それでも受験で出るから必死に過去問解いて段落把握や語句の暗記、パターン学習を繰り返すしかなかった子どもたちを。
(承前)易しい設問でバランスをとろうとしたのだろうが、国語嫌い、国語の授業嫌いはますます増えるだろう。文章を読むのが苦でない子(勉強しなくても現代文がそこそことれる子)はスッと解けてしまう。これが読めない子はなぜ読めないのか、「力のない」自分を責める。
(承前)小林の文章はかつて丸谷が述べたように論理的にみえて感覚に逃げるところがある。むろんそこに味があるわけだが、それを入試問題で出すのは愚の骨頂だ。とりわけ昨今の中等国語教育で国はしきりに論理力の育成を声高に述べているのに、そのゴール(の一つ)でこれか。これなのか。
センター国語、平均点の中間発表98点。繰り返すが本年の作成陣は万死に値する。2年続けて易しくなったので(特に去年が高すぎ)今年は「難化」させなければならない。だがそこで、じゃあ小林秀雄だ!、という底の浅さ。正しく難しくすることからの逃げ。解けなかった受験生は自分を責めないでほしい
「読み方」は与えられるものだ、ということが、実感としてよくわかる。むしろ、あのころ、テレビの前で立ち尽くして番組を浴びていた私は、いったい「何を」観ていたのだろうか。(ありがち評論ふうに終わり)
ガンダム(再)もマクロスも、その当時は、浴びていた、としかいいようがない。全く意味はわかっていなかった。ガンダムやマクロスやルパンを「発見」するのは、世の好事家的大人の見方を追体験してからなのかもしれない。
小2の娘が宇宙への行き方、帰り方、格好に興味を持ち始めたので、ガンダムの「大気圏突入」の会を見せた。楽しく見たのだが終わって一言、「でもこれ、アニメだよね」。こうして娘は父から離れていくのか…。
RT @tako_ashi: 歌会始の中継を見せると14歳以下の子供は必ず笑い転げる。例外は無い。オレら大人は何かを抑圧しながら視聴してるんだと思う。何を抑圧しているのかについてはいつか有料メルマガに書く日が来るかもしれない。
この二人の女子高生がそれぞれポニーテールだったら完璧だった。これがホントのポニーテールと守株。
東京大雪。出勤時、信号待ちしてたら少し先で女子高生が転んで腿が露わになった。あららと思ってたら、また別の女子高生が転んで腿が露わになった。私は、仁政に基づいた、周代の如き聖代の到来は、待てば存外たやすく実現するのではないかと思った。
すり切れたダビングテープを使い回していた学校関係者にとっても僥倖のはずである。大杉久美子と子どもたちのコーラスによる「チェチェコリ」。♪腰を振って!サッサ振って!ホンマンチェチェ! http://t.co/7QrMrPIA
というより、その音源を入手できたことに驚嘆。どこをdigしたら見つかるのだろう!そして、これは大きい出来事である。今までいろんな人が気になっていた音源が、デジタルデータとして誰でも聴ける状況に置かれたのは大変有り難いことである。その一助となれたことはとても嬉しい。
ある方からメールあり。小学校の玉入れなどで用いられる「チェチェコリ」(または「チェッコリ」)の音源について私がかつてまとめたものを読んで、その音源(レコードだろう)を手に入れ、youtubeにupするが、参考にした旨、言及してよいかとのこと。二つ返事で了承。
「大変なんだ、プライドとともに生きるというのは」名言だな #nichiten
録画してあった『情熱大陸』吉田豪編をちょこちょこ観る。パンダ1/2Tシャツ!ちなみに、パンダ1/2のCD「上海に行くつもりじゃなかった」のspecial thanksには「GO YOSHIDA」なる人物名がある(ちなみにJUN MIURA」なる人物も)
Thu Jan 03 14:24:39 +0000 2013
twitter過去ログ(備忘録)
2012
ちょっと放心してた。ちょっと前に起こったことをありのまま話すぜ。3曲やるかなやらないかなどうかな…と思ってたところにはっと気がついたら「れにかなこあかりしおりあやかももか」と歌っていて、思わず「おおおおおお!」と叫んでしまっていた。
タマフルリスナーからライムスターに興味を持った者なので、ヒップホップ文脈を碌に知らずに語ってもと思って普段は抑制しているのだけど(でも、そういう中年男性は思ってる以上にたくさんいると思うよ)、この曲については語りたかった。
「心のドアをコンコンとノック/日付も替わる12 o'clock」から、「昨日」と「今日」を語る流れは、「once again」(「午前零時/日付の替わる瞬間/雨上がりの冷気」)の、震災以降の語り直し、位置づけ直し。
この「底が抜けちまった」を聴いた感触をどう表現したらいいかわからない。感動とはちがう、涙を流したわけではない、けれども、とにかくあの翌日以来の感覚が改めて蘇ってきた。背中の冷え続けているあの感覚。
そして途中で急激に曲調が変わったところにあてられる、「なんせ底が抜けちまった/全て泡と消えちまった」。日本経済のこととも読めるように作ってあるけど、これはもちろん圧力容器。
「今だけは許してくれおせっかい」 東京にあって福島のことに口を出すことへのためらい。こうした言及をしないではいられないことについてはものすごくわかる。でも語らずにはいられないのだ。
随所で<原発後>にどう歌うべきかというう問題意識がある。「しつこく言おうか?「人間なめんな」」 ”K.U.F.U"の一節に拠るが、むろんそれだけでなく、タマフルリスナーなら言わずとしれた、震災直後の特集、「人間なめんな」メッセージを承けるだろう。
ライムスター「ゆめのしま」のPVフルででてる。凄い。「底がぬけちまった」で慄然…。
そうだ「アウトレイジビヨンド」で思ったこともう一つ。三浦友和が引退させられ立場を逐われる際、偉そうにはできないが下手に出たくもないところでの立ち居振る舞いが、前作で北村総一朗にはたかれるときに見せたそれと(多分意図的に)オーバーラップしてて、ニヤニヤさせられたぜ。
そういう意味で丸谷は「文化のスポークスマン」を自らに課していたといえる。正しく高踏派(余裕派)なんだけど。何かのエッセイで、文化団体に名を連ねているが実務に対して自分を「賑やかし」と位置づけていたその言葉遣いが印象的。だけど賑やかしは必要なのだ。
古典に対して何の文化的なバックボーンも持たない自分がここまではまり込めた要因としては、丸谷のエッセイや評論に耽溺していて、何だか古典に触れえた気になっていた(そういう文化を手にし得た気になっていた)ところが大きかったような気がする。有難う丸谷才一。
幼稚園児が三十路に変身/するくらいの時間かけて前進/エナジーゲージ満タンのエンジン、回せ回せ回せレッツリベンジ/そしてつくりあげたこのベーシック/ただし気持ちはフレッシュな新生児/「私が証明です」アンチエンジ/キングオブステージとDJ SEIJI(スキルとクリエイティビティ)
まさに夜明け前 時代をチェンジ、幕末ならあと何年で明治/さながらアウトレイジ、生き残った方が書くのさ歴史のページ。(スキルとクリエイティビティ)ここの譜割りが最高すぎる。
タマフルを聴いている。ここまで来ると「桐島」を観ないわけにはいかなくなってきた。池袋でやっているんだけど、相方と行ける時間ではないんだよな…
いつかやってくる結末はいっけん千棘とのハッピーエンド、けれど、千棘との一夫一正妻関係は実は仮面で真の心の妻は小野寺さんという、題名『ニセコイ』の本当の意味はそこだったのかエンド、を希望。
一条君が私のこと好きなんて、そんなことあるわけないのに……なんて、ンなわけないだろ!!!!くそっ!!!くそっ小野寺さん最高だ!!!(仕事が煮詰まりすぎて逃避中)
ついでに7話も見返してしまったのだけれど、第1シリーズの俺ベスト場面(9話のハマケンの帽子を投げる枡野)を想起させるかのように、ハマケンが帽子をかっこよく投げていた。リスペクト!(妄想)
『アウトレイジ』は、もしかしたら、「ねえねえ誰が良かった?」「あたしねー、國村隼!」「あたし、叩かれたあとの三浦友和!」とかきゃっきゃきゃっきゃしながら楽しみあうべき、グループアイドル映画なのかもしれぬ。
『アウトレイジ』観た。構図と色の美しさ(構図に関する北野武の黄金律は気持ちいい)、そして、俳優たちの演技を愉しめられて幸せである。私たちの<怖いひと>像を析出してカテゴリーに振り分けているとあの人たちになる。なかでも國村隼が最高。
RT @kerasand: 今夜はなんとあの緒川たまきが俺のために晩ごはんを作ってくれている!!!
RT @kerasand: 緒川さんのことをつぶやくと「のろけ」だと言われる。
RT @anisan: 五時に夢中にゲスト出演中の淡路慶子さんが『ドラクエ10』に苦言! 「あれは一人で楽しむもの、何でも繋がればいいというものじゃない」
むろん、3部以降のチームによるスタンドバトルも、スタンドの性質は異質なもの同士だったわけであるが、それと、「スタンドを使えない」ジャイロと「使える」ジョニィとのバディ、は、決定的に違う予感がする。そこがいい。厳密には違わないのが惜しいのだが。
ジャイロとジョニィのバディ感と書いたが、そこでのミソは、「ジャイロが使うのはスタンドではない」という点だ(厳密にはちょっと違うが、今はめんどくさいので触れない)。何度か書いているが、私は「3部で波紋を使うジョセフ」が大好きなのだ。
スケールの大きさと制約の大きさ、また、「ジョジョ内ジョジョ取り」のニヤリ感(ただ人物がパラレルだというだけでなくて、言い回しとかが原点回帰を感じさせてベネ。)、そして何より、ジャイロとジョニイのバディ感がたまらない。
2部>4部>3部>5部>1部>6部、なのだが、5部と1部の間に、SBRを割り込ませたい。断続的に読んでいるときは、6部以下だったのだけれども。
全然関係ない話だが、新刊が出るごとに買って読んではいたが、通して読み直してはいない『スティール・ボール・ラン』を読み直す時間をつくれた。『SBR』、実は凄え良くねえ?
初めての生YMOには言葉がない。テクノポリスで「T-E-C-H-N-O-P-O-L-I-S, トキオ!」をコールできたことが無上の喜びだった。あとは、ひたすら、細野晴臣のベースと高槁幸宏のドラムを、全身で浴び続けていた。幸せな時間だった。 #wh_fes
ワーハピYMO、グッドミュージックに泥を塗るような、アンコール前に「帰れ!グダグダ!」と叫んだ真ん中中央あたりの、奴。腹が立ったが、彼はグリークシアターでの「パールハーバー」と叫んだ奴リスペクトに違いない、だと思い込むことにした。 #wh_fes
RT @s_hakase: 岡村ちゃん。どぉなっちゃってんだよ、カルアミルク、ア・チ・チ・チ、聖書、いじわる、僕ロン、だいすき〜と続く鉄板のメドレー。生で見るのは初めてだが真夏の夕刻の陽に包まれ存在があっっとぅてっきっっ!!!神がかったステージ。とにかく歌声もダンスも演奏 ...
アンコールが磁世紀とテクノポリスだった。総毛立った
ワールドハッピネス2012。岡村靖幸が全く予想だにしないかたちで最高過ぎる。西寺郷太の補助線があったから辿り着いただけではない、根底からの多幸感があった。いま80年代が一巡りしたのか。40~30代も20代も心底乗っていた。まさか岡村靖幸にやられるとは。
RT @fullcan_tamafle: 大変長らくお待たせしました……今年6月に放送した「知られざるアニソン作家」古田喜昭さんのインタビュー全文をアップしました! 長いので覚悟して読んで下さい! http://t.co/PiV8w4Er #utamaru
RT @yhd56: YELLOW MAGIC ORCHESTRA、29年ぶり「テクノポリス」をプレイ? http://t.co/41QXRFis #ymo #wh_fes #skmtnews
RT @yhd56: 松武秀樹:テレビ朝日「タモリ倶楽部」に冨田勲先生と一緒に出演します。http://t.co/cyoJBlq6 温故知新シリーズ① 初期型モーグシンセ(箪笥)で音を作ろう 放送日:2012年9月7日(金)24:20~24:50 https://t.co ...
RT @Takashi_Shiina: 『Dr.椎名』の原稿コピーが出てきたのだけど、余白に殴り書きでアイデアがいっぱい書いてあって意味がよくわからない。「サイコ16歳(シリーズ)」って何を描くつもりだったんだ俺。
アウトロ俺ベスト、思い付くままに言えば、スパイラルライフ「raspberry belle」、クラプトン「Let it grow」、サカナクション「夜の東側」、「太陽戦隊サンバルカン」op、あたりかしら
いしだあゆみ「太陽は泣いている」が最高過ぎて毎朝聴いている。終わり方(アウトロ)がかっこよすぎる。アウトロ俺ベスト10入りとしたい。
(承前)4)「第1話だからきちんと演技してる感」満載のひとり 5)「ミッション・コンプリート」&「FIN」。 「FIN」みたいのが実はこのコメディを一つ上のレベルに押し上げている気がする。というかどんだけ観てんだ俺。
ウレロ第一話の俺の見所トップ5。1)プンプン怒る(「かわいい」方向の開拓に寄せる演出の)枡野 2)かっこいいop(ちなみに最初に「てっぺん」のポーズをみんなでしていて感動)3)なんか次のステージに行った角田
むろんリアルタイムでニコ生を観ながら観ていたのだけど、ニコ生との興味の配分が難しかったのでくそ忙しいのに今日改めて観たのだった。
「ウレロ☆未確認少女」の第2シーズン、「ウレロ未完成少女」第1話、改めて観る。opが相変わらずかっこよい。正しい続編!!
Tomato n' Pine「踊れカルナヴァル」が「ワナダンス!」に引き続いて最高すぎる。TBSラジオリスナーということを差し引いた、抑えた物言いをわたくしはしている。
暴風雨一過。指原左遷之天譴歟。(誰でも言いそうなこと)
RT @UreroUFI: 【公式HP解説】本日から初回放送までの4週間、HPでウレロDVD-BOXに収録した特典コント全5本を無料で視聴できちゃいます! 息ぴったりの名コンビ「あかリズム」やゴリナの「恋はドラミング」などなど川島プロの悪ふざけ満載! これで繋いで下さい。 ...
RT @UreroUFI: 【ウレロ☆未完成少女】ウレロシーズン2「ウレロ☆未完成少女」はFacebookで公式ファンページも開設!今回は観覧募集もこちらで「いいね!」を押してもらった人が対象になります。どしどしご応募ください! http://t.co/4Yszxz0W #ウレロ
RT @UreroUFI: 【速報!】ウレロシーズン2ティザーサイトがついにOPEN! タイトルも解禁「ウレロ☆未完成少女」! 放送日は4週間後の7月13日(金)24:53から! 出演者のコメント動画など特典満載! 今すぐチェック! http://t.co/4Yszxz0 ...
いいかげん、UTを演ってくれないだろうか…
8月12日、World Happiness2012のチケット(Aブロック)をローソンでとった。初めて生YMOを(ぼっちだけど)見に行くぜ!
アメリカンチェリーをdisりつつ、消費せざるをえない複雑な心境を熱弁する安住。さすがちょっと右寄りの人。 #nichiten
体罰ギリギリ世代www #nichiten
安住が熱弁する第二次ベビーブーム世代のルサンチマン。わかる…わかるぜ…やっと消費の中心になってきたふつふつとした喜び…わかるぜ #nichiten
学校に入ると教室がなかった世代www #nichiten
教頭先生の話を静かに聞いていた最後の世代www #nichiten
アメリカンチェリー世代ww #nichiten
今日のタマフルの特集、「意に沿わぬ髪型特集」て! こんな特集の番組ないよ!
「ふるさと再生 日本の昔ばなし」は逆に、お話を「脱臭」しかねない嫌いは当然予想されるのだけれど、まずはその試みを応援したい。
ちなみに「まんが日本昔ばなし」は、前の前の再放送の際、放送された分は全てコンプリートしてDVDにし、時折子どもに見せてもいるのだが、あれを郷愁のように美化してもいけない。あれは、お話それ自体の持つおどろおどろしさや暴力性とは違った水準で、「作家性」が強く意図されて邪魔な時がある。
もちろん私たちは、昔話や民話に、「 」をつけなければならないことを知っているが、その「 」をつける正しさに拘泥している間に、子どもたちの間からそれらが消えてしまいかけている事態は、暗澹とすべきものがある。
「ふるさと再生 日本の昔ばなし」という番組がテレ東で4月から放映されている。内容はスタンダードな感じだが、それがいい。昔話、民話、西洋の童話ですら、その基本形を、いまの子どもたち(20才前後まで)はびっくりするほど知らないのだ。ぎょっとするレベルで知らないのだ。
古川日出男『13』(角川文庫)読了。中上健次を思わせる。という書き方は、ちょっとオペラ風の曲を聴くとクイーン「ボヘミアン・ラプソディ」を思わせる。というように陳腐かもしれぬ。とにかく面白かった。若書きなんだろうけどでも圧倒的な筆力。凄い。
エヴァは最後の学園ドラマ風平行世界のところで食卓が出てくるのが逆に… #utamaru
RT @after__7: バーのシーンで流れる曲ってあるじゃないですか〜BGM #utamaru
地下牢でのルパンと銭形の共食としてのタバコ。>これがあったうえで「礼拝堂だ」から同じ早さで走る(=同じ力を持つ2人の喩)ルパン・銭形が活きるといえるな。この場面大好き #utamaru
「カリ城」の有名なスパゲッティのシーンは失敗作では。ルパンと次元が腹を見せすぎてしまっている。>すげえ。こんな見方はすげえ。 #utamaru
RT @reddevils_: 今日の福田里香先生が駿について熱く語る姿、コンバットREC氏がひろゆき(not西村but真田)や千葉真一、王貞治を熱く語る姿と同じモードになっている。宇多さんちょっと戸惑いモードに #utamaru
RT @Suzume_quox: 「ピッタリじゃないですか、小学校2年の女子ですよ。」 ハヤオを語る上で完璧な一言をさらっと言いやがった。 #utamaru
RT @masyuuki: 『あ〜る』のアニメのアフレコだったか、CDの収録時だったか、休憩時間にスタジオのロビーに出てきた成原博士役の青野武さんが「これは面白いねえ」としみじみと言ってくれたのが嬉しくて、今でも素晴らしい思い出として残ってる。
ふと思い出したが学部生のころ丸谷も吉本も、それぞれの講演会を聴きに行ったことがあったな。いま行っておかないと実物が見られないと思ったからだ。俺の「接ぎ木」という言葉の使い方は、吉本に由来する。
飛翔のシークエンスが終わったので離脱。
「お前そっくりのじゃじゃ馬だ!」パヤオの女性幻想最高
「徹夜はするな。睡眠不足はいい仕事の敵だ。」無理
RT @monteblue_net: 「東京は夜の7時」3本立てで始まった番組が「僕らが旅に出る理由」3本立てで終わるのか… #top954
RT @combat_rec: さようならトップ5!ありがとうトップ5! #top954 http://t.co/WOfU9TEb
Tue Mar 27 14:29:07 +0000 2012「ウレロ」何度も見返す。なかでも9話。全てが最高。筋、ギャグ、テンポ、かっこよさ。最良のかたちでの絡みあい。ハマケンへのパイルドライバー…の直前の、バカリズムが画面右に投げ捨てる帽子の早さが、とにかく神懸かっている。この瞬間が俺のなかで「ウレロ」の頂点。
「ウレロ☆未確認少女」DVD-BOX購入。ディスク4と5からまずは見終わる。何の説明なくメイキングを楽しめていて、また唸らされていて、の自分を省みるに、本当にはまってたのだなと思い返す(笑)。そして祭りの終わりはいつも淋しい。1~3は週末のお楽しみ。
奇跡の時間は短い。でも奇跡に立ち会えたことは嬉しい。そして奇跡が終わっても、日常は愛すべきものとしてある。寝る。
スポンサー云々とともに、そうした方面に関するあれこれが、もし小島慶子が止めようとするのなら、理由としてありそうな気がする。今の形でなく、しかし託宣者にしたてあげるのでもない、次のどこかを、きっと構築できるのではないか、と。深夜の、仮定に仮定を重ねた話。
いや違うかな。渡りあおうとしているわけでもなく、自分としてそこにいる(be)だけなのに、結果的に渡りあうことになる状況におかれている、とでもいうのかな。
女性の方が「こういう人でしょ」という他からの見立てに晒される圧は強いと思うけれど、しかし小島は「そういう見立てに声を上げて抗する女性代表」のように見立てられるのも拒否している。時々、聴いていてヒリヒリするときがある。
小島慶子が「キラ☆キラ」に区切りをつけそうな気配が伝わってくる。小島慶子は多分、「こういう女でしょ」という他からの見立てに随所で晒されていて、しかしそれと常に渡りあおうとしていて、それは本当に大変なことだろうなと思う。
というより、この当時はまだ、ドラマにおいて、心理の動きに最低限、理路をつけるのが、もっとも当たり前で基礎的な作劇上のマナーだったのではなかったろうか。
なんか歴史上有名な場面のやりとりに出くわしました♪という、まつ~千代~江に継承されたあの流れとは一線を画す。大河はえてして主人公が無垢で無欲、でもなりゆきに翻弄され(て悪いことをす)るという造形がなされがちで、実際この尊氏も基本はそうなんだけど、あくまで心理の動きに理路はあるのだ
史実が相当に複雑で、しかも実のところ何が本当かわからないところも結構あるのだけど、その有名エピソードに至る尊氏の心の動きに、いちいち理屈があって、その理屈の持って生き方がけっこう見事なんだな。原作の手腕なのか脚本の手腕なのかは未確認だけど、相当に巧くてため息がでる。
皿洗いをしながら、ようやく大河の『太平記』は26、27話。骨太だし、ドラマがある…。それでも当時は、トレンディ俳優ばかり出して、などと批判されたのだろうか。今の大河を見せたら卒倒するんじゃないか? 26話で憶良歌を口ずさむ尊氏。足利と新田に揺さぶりをかける北畠親房の場面の心理戦。
twitter過去ログ(備忘録)
2011
うまく書けないな。喩と喩とがある水準において照応しあって諷喩を生むのなら、『ピングドラム』は、いくつかの諷喩が別の水準でそれぞれ張り巡らされていてもやもやが残る、という書き方の方がいいかな。近代物語患者の俺。
ようやく録り貯めていた『ピングドラム』を#17、18と見進めた。面白いのだけど、はじめからずっと感じ続けているのは、自分から、物語世界のなかの様々な事象間の距離感をものすごくとりづらいということ。このピントのずれた感じをもって、物語世界の謎を演出しようとするならそれは乗れない。
『ウレロ☆未確認少女』第9話、面白すぎる。個人的な嗜好では、8話の、後半バカリズム脚本の話みたいのが好きなのだけど、今回は理屈抜きに面白れえ! それと月替わりのホワイトボードに確実にUFIのステップアップぶりが見て取れて笑える。Sat Dec 03 12:22:09 +0000 2011
くそ忙しいので逃避に『ウレロ…』の第2話を見返してしまった。テレビから聞こえてくるなきむしつよし(?長渕のパロディ)の歌声はマキタスポーツだったんだな。いろいろ発見がある。Sun Nov 06 15:12:49 +0000 2011
しかも6人組のグループ「UFI」に覆面アイドルとして早見あかりがミスXとして参加する展開、その「UFI」の歌を歌っているのが、実はももクロZというメタ構造…。早見あかりの脱退も全て込みのネタなのではないかとすら思わせる。まあそれは無いにしても、レベル高ェ!
youなんとかtubeのコメ欄に「客の笑いいらない」「足した笑いがわざとらしい」とかあったが、ドリフ生まれアルフ育ちの私からすれば、「逆にリテラシーが足りないんじゃーい!!」と言いたい。
アドリブも入れているようなんだけど、脚本の本筋がきちんと(律儀なまでに)笑えるものとして作ってあるのが俺にはかなりポイント高し。この芸人さんたちにはポテンシャルがあるんだけど、それはわかったうえで、それに頼らないことを基本にしている、というか。
テレ東の「ウレロ☆未確認少女」が面白い。客を入れた、固定セットの、シチュエーションコメディー。ジョビジョバの「さるしばい」以来の期待度、ととりあえずは言っておきたい。テレビを随分まともに見ていないから、「さるしばい」以降面白いものもあったかもしれないけれど。
『男子高校生の日常』がアニメ化か…なんでもアリだな(ちなみに超好き)Sat Oct 22 10:22:43 +0000 2011
太平記、やっと3まで見終わった。楽しすぎる。
RT @hiranokohta: 腐女子はもっと、この「フジコの色香が全く通用しない」、「フジコがルパンに絡んでくるとあからさまにいやな顔がする(時には殺そうとすらする)」、「何度も何度も(何十年も)ルパンに、フジコと手を切れって言い続ける」五右衛門と次元に萌えるべき
「もしあなたが頭のいいテロリストで、ヨーロッパを壊滅しようと思ったら何をしますか、と。/私は笑って答えたよ。/一番簡単な方法は、輸送中の使用済み核燃料を奪い、そのコンテナーをただ単に爆破させることだとね。」
それでいま、最終8巻を読み耽ってしまった。「ねえ、豪士、暖かい冬の日ってとっても美しいと思わない?/こういう風景を見てると、私思うの…/この世界も捨てたもんじゃないって…私達守らなきゃ。/こんな美しい世界、二度とないって…だから…」
それにしても「福田予想」て…。かつて「フード理論特集」において「フード三原則」を「非核三原則」「ロボット三原則」と並べた福田先生の術語感覚に卒倒したのは間違いではなかった。 http://t.co/E4ddPfp #utamaru
「ふくしま総文で高校生たちが「上を向いて歩こう」を合唱」の報。いつも思うが「上を向いて…」の割増し扱われ感は奇異なり。
今更の話だが、槇原敬之ゲスト回の安住「にち10」を聴く。槇原敬之のテンションや話題がいろいろ想像させてしまうぐらいヤバイ(いい意味で)。そして無声音の話になったとき「菊の花」という例を瞬時に提示できる安住GJ。
仕事で繰り返しネタを仕込むことがありそれなりには受けるのだが、「危ないな~前足で」(中略)「えっそんなんできるんですか!」の域には達したことはない
『レイン』は今評価が高そうなのだけど、本当に当時は、いつかわかるだろうと思って見続けて結局わからなかった。わかったつもりとわからないと表明する潔さとを天秤にかけて、後者をとった俺の判断は誤っていなかったと信じたい。
作画のツルツルサッパリ感(?)は好みだし、Opが(「眼鏡は顔の一部じゃなーい」でお馴染み)やくしまるえつこ@相対性理論は間違いないし、時代の問題をうまく組み込んでいるし、ガジェットの照応関係もおもしろそうだし、とりあえず見続けたい。
信頼できるいくつかの筋が「輪るピングドラム」を推しているので、2話、3話と観てみた。これは面白くなりそうだが、エヴァ以降の謎系アニメで、きっと面白くなるだろう>グダグダ終わり、という経験をしてるから(一番の典型は『レイン』)まだ判断保留。
RT @suizou: さすが大阪のクソガキw…橋下大阪府知事が、幼稚園に訪問に。そこで橋下がガキに対して「あんまりテレビばっかり見んと、勉強せなあかんよ」みたいなことを笑顔で言った。するとガキが返す刀で「テレビ無かったら知事になられへんかったくせに」って
ホームセンターで買い物をしていたら、BGMにNHKの怪作・「赤頭巾快刀乱麻」のop(近藤等則だたかな)が流れてぎょっとする。あの瞬間、ぎょっとした風の人を周囲に探したがとりあえずいなかったのは残念であった。
ふと思ったけど、ドストエフスキー『白痴』の、ムイシュキンとロゴージンの関係は、『ジョジョ』でいうところの、ジョナサン・ジョースターとディオとの関係だといえる。
『罪と罰』を読んだことが実はなかったので、いま読んでいる。私の好きなこち亀エピソードのなかで、両さんがドストエフスキーを読むはめになる回があるが、両さんよろしく本当に人名で頭がぐるぐる回る。また新しい登場人物か!とそれですでに神経症になりそうだ。(でもおもしろい)
この理解の鋳型というのは本当にやっかいで、この、仕事/論文活動、の構図は、仕事/育児・家事、と揆を一にする。俺が可能なかぎり家事をし育児に関わるのは俺がそうあるべきだと思っているからだが、「尻に敷かれている」という枠組みで捉えないと気が済まない人もいるのだ。
もっとめんどくさいのは、仕事をやっているのに論文を書いたりしていると、「(本来は学者になりたかったのに)したくない仕事に就いている」と決めつけたがる人が一部にいること(他分野だけどね)。たぶん理解の鋳型に、こういう人生の在り方が存在しないんだろうな。
それにしても、好きなことを仕事にしている、というと、心底信じない人がいるから世の中は難しい。大変さや心底辛いことももちろんあるのだが。むろん仕事は大変が当然、という思考が少なからず内面化されているとも自己批判は時折してみるのだがね。
タマフル終了。俺が「社畜」特集を客観的に楽しめたのは、非社畜の宇多丸、ポストモダン社畜(=シャチ?)を目指す橋本P、アウトローに見えて実はモダン社畜的発想から出ないゲスト氏、という三者の「社畜」への距離感のどれもが、自分なりに覚えがあるからなのだろうな。 #utamaru
タマフル「社畜」特集、こおばしい方向に転がっている。組織勤めに馴染みたくないからこそヒップホップに進んだ宇多丸にシンパシーを感じるリスナーが、社畜のポストモダンを企図した橋本Pの意図からやや外れた、むしろモダン社畜のゲストの発言に違和感を感じるという構図。 #utamaru
レキシ「妹子なぅ」(『レキツ』)、「できたて法隆寺」と固有名詞的に言うあたり、素敵すぎる。しかもバックコーラスが「大ばばさま~」。あげく最後が「journey to the stars~♪」無敵すぎる。
Wed May 04 16:24:21 +0000 2011仕事からの逃避で積ん読だった『ちはやぶる』を十巻、十一巻と読み進めている。千早の「「聞こえる」って言っていいんだ」のplay backに震える。『スラムダンク』の「俺は間違っていなかった」もそうだけど、俺の鳥肌ポイントは、アイデンティティの確認、自己否定→自己肯定の瞬間、らしい。
Fri Apr 29 09:41:00 +0000 2011ラジオから聞こえてきた曲が思いっきり「camera!camera!camera!」リスペクトですばらしい確信犯!と思ってだれの歌かと思ったら、PANDA 1/2「PANDA! PANDA! PANDA!」だって。まんまじゃん!(褒めてます)
Sat Apr 09 13:35:08 +0000 2011なぜ安吾が頭をよぎるのか、まだ言語化できない。そして、無理に言語化しない。今はまだ震災の現在進行形だ。祈るのみ、行動するのみ。
Sat Mar 19 17:06:12 +0000 2011ともあれ、東京に生きて感じているここ数日の感覚は、忘れないようにしたい。忘れようがないかもしれない。ところどころで、坂口安吾『堕落論』が語る、安吾が戦争中に見た光景が、とにかく頭をよぎる。東京に住む者たちの「驚くべき充満と重量をもつ無心」…。
Sat Mar 19 17:02:52 +0000 2011それにしても今戦っている方々の無事と安寧を祈るほかない。
大変なことだ。このうんざりするような悪夢が、明日になると今日の映像がBGMつきでヘビーローテーションされるだろう。それはまた別の悪夢。明日は新情報を求める以外、テレビをつける気はしない。後者の悪夢は人為的にとめられるはずなのだが…。
奇面組のギャグで一番好きなのは「表札!/使えるかこんなもん!」
RT @Remi_Hirano: 夫はパソコンできません。「ツイッターくらいやりなさいよ」って言ったら「俺は週刊文春の表紙を30年以上やってて、毎週表紙の言葉を書いてるんだ。あのコーナーは140字だから、昔からツイッターやってるようなもんだ」と威張ってます。
移動中にち10を聴いている。エアロトが番組にとって本当にトラウマになっていて笑った。 #nichiten
Sun Feb 13 01:21:00 +0000 2011RT @Takashi_Shiina: あと、おキヌが生き返った20巻以降のエピソードは実はあんまりよく覚えてない。だから読み返すと新鮮。
Sat Feb 12 16:53:34 +0000 2011予告編の絶妙さに敬意を表してネタバレは避ける。「全編バカ映画」ではないところがいい。キックアスの行動原理とその行動、ヒットガールの行動原理とその行動が、かみ合うところはありながら実はかみあっていないところが、なんだかとても良かったように印象づけられています。
息詰まる場面は息詰まりつつ、腹ァ抱えて笑う場面は腹ァ抱えて笑う(まわりは真剣に観ていてあわてて座し直す)。そして、実はヒットガールよりビッグ・ダディ(ニコラス・ケイジ)が最高。あと、見終わったあとに分かる、予告編の絶妙さ。http://bit.ly/gV0Lnh
まあ面白いのなんの。現代にヒーローはどう可能か、についてはいくつかの解答が既に提出されているようではあるが、それらの解答を承けたうえでのキックアスとヒットガール、といえましょう。最初の「飛ぶ→失敗する」のシーンは伏線なんだな。いま気づいた。
はあまりに乱暴かつデリカシーがなくて、不快感を感じるのである。初めに述べたとおり、事実としては「寄付」されたものは有益だし、善意あってのことだから良いのだが、それが批判も圧してしまうのも厭(善意ファシズム?)なので述べた。
追記。抽象度が高い「金」を「あえて贈らない」という選択はありうる。流用などを危惧したり、また自分の寄付行為にある程度の方向性と意志を与えたい場合などがそれであろう。今回の件はそういう含みもあるのだとは思うけれど、報道されたいくつかの例は、社会のなかで生きる大人がしでかすこととして
だが、そのことを全国の「伊達直人」たち(『タイガーマスク』に思い入れがある人たちを除く)に教えると、「それはちょっと違う」と言われてしまうのではないか? その、「それはちょっと違う」的メンタリティを(勝手に)妄想して、私は「気持ち悪さ」を感じるのである。
一番抽象度が高いのは、もちろん「金」だ。だから「金」を寄付している人は、実はたくさんいる。贈与者の名が明記されるシステムもある。名は知らせるが公表はしないシステムもある。名を知らせないで贈るだけのシステムもある。贈与者のスタンスによってそれは選べる。ちなみに
その子に適した具体的なものを贈ることはOKだ。だが、具体的に顔と名前が一致しない子ども集団に対して、あまり具体的なものを贈ると、もらった側が本当に欲しいものに適合しないと私たちはふつう考える。だから「つぶしのきく」ものを贈る。贈られた側を困らせることは避けたいと思うのが当然だ。
いったいどういう子たちをイメージしているのだ? 贈与において、その贈与物が慣例的なものでないかぎりは、相手をどれぐらい具体的に知っているか/抽象的にしか知らないかという度合いによって、贈与物も具体/抽象度を調整すべきであるはずだ。つまり、相手を顔を知っているなら、
いくつかの例においては、贈られた側が扱いに困るようなものを贈っている(生ものなど)ようなフシも、報道から感じ取れる。それだけでない。「運動」が拡散するにつれ、贈るものが「かわいそうな子に」という、ものすごくアバウトなイメージで選択されている。「かわいそうな子」とは、
ちなみに、寡聞にして知らないが、桃太郎は奪い返した財宝を、民に返したのだろうか? まさか自分のものに全てしたとは思わないが、民に返してやったとして、その行為はむろん善であるのだろうけれど、「奪われたものの奪取」であって、寄付や恩返し・恩送り(c内田樹)ではないはずだ。
Thu Jan 13 04:49:43 +0000 2011伊達直人なら、ギリギリ俺のなかではOKなのだ。そこには、「自己顕示」よりも梶原一騎『タイガーマスク』をめぐる<物語>への思い入れが優先されるように感じられるからだ。矢吹丈は…まあ梶原一騎の流れと考えればご愛嬌なのだが、「桃太郎」を名乗った人は、そりゃ善意の人なのだろうがどうなのだ
Thu Jan 13 04:43:58 +0000 2011私は「偽善も善」という言い方を好む類の人間である。そのうえで言うのだが、この雨後の竹の子のような「名乗り&寄付」は、ものすごく「気持ち悪い」。「伊達直人」以外の名乗り(ex矢吹丈)は、そこから、「匿名」なのに「自己顕示」という座りの悪さが、ひしひしと伝わってくるからなのだ。
Thu Jan 13 04:40:56 +0000 2011マスコミが報じる見出しの「タイガーマスク現象」と「タイガーマスク運動」は意味合いが全然異なる。「運動」にしてはダメだ。しいていうなら、「タイガーマスク運動」であるなら「伊達直人」名義のそれのみに限るべきである。
Thu Jan 13 04:34:07 +0000 2011伊達直人世代と伊達臣人世代なら完全に後者。
Wed Jan 12 12:54:39 +0000 2011飛翔シーンでヒックがペーパーを落としてから(←ペーパー=机上の空論。それを落とす。記号的に律儀!それがいい!)の展開はとくに鳥肌ものだが、ついにトゥースの両翼から二本の筋が! 脳裏をよぎる「すげえ! 豚が雲を引いたぞ!!」 激燃えですよ。
「ヒックとドラゴン」BD、子どもと借覧。最後の「アレ」、重いことだけど、トゥースの「アレ」との構造的な呼応とともに、その供儀なしに人間世界がドラゴンを馴化しえなかったことを示す神話的な話といえなくもない。
Wed Jan 05 13:46:14 +0000 2011RT @masyuuki: 実は駿平とひびきの初体験シーンは、もう少し念入りなネームを描きかけたことがある。少年誌でそこまでやることはないかと思って引っ込めたが、年少の読者にはどうして赤ちゃんが出来たのか理解らなかったのではないかと、今でも心配である(笑)
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2010.12
「道理で日本にパンクが根付かないわけだ…」(抱腹絶倒) #utamaru
Tue Dec 28 14:58:22 +0000 2010「東京スカイツリー」が「業平橋」駅にあることがわからないなら「業平橋」駅を改名するのではなくむしろスカイツリーを「業平スカイツリー」に改名すべきではないのか? おみやげは乾飯。
Tue Dec 28 11:55:22 +0000 2010業平橋駅改名…逆だろ!業平タワーにすべきだろ!
Tue Dec 28 10:30:10 +0000 2010サカナクション「目が明く藍色」のような曲を聴いて、未だに「ボヘミアン・ラプソディ」を持ち出すような「語り口のパターン」って、どうなのだろう。
Sun Dec 19 05:20:43 +0000 2010スピッツ「夏の魔物」を堕胎を歌ったものと読むような、比喩へのリテラシーの貧弱さというのは、谷山浩子「恋するニワトリ」を不倫の歌、シングルマザーの歌として読む貧弱さに通じるかもしれぬ。
Fri Dec 17 15:41:11 +0000 2010現在、仕事で狛江。狛江の名産はインコ。
Fri Dec 17 00:19:07 +0000 2010
2010.11
でも「愛のむきだし」を「コミカル・エロ・グロの表層、シリアスで崇高な深層」という構図で評価する向きがあるとすれば何か違う気もする。不満は感じながらも、表層も深層もないとてつもない猥雑さに圧倒され疲弊させられる映画かな、と。むろん疲弊も悦楽のうちである。
Thu Nov 18 13:29:20 +0000 2010録っておいた「愛のむきだし」3夜かけて見終わる。変な映画! 抽象的には最高。具象面についていえば最後を30分伸ばすか3時間縮めるかどちらかを望む。良かった!(どっちなんだ)
Thu Nov 18 13:19:04 +0000 2010そして今朝。長女「昨日お父さんの作った肉美味しかったねー!」次女「うん!!」私、絶句。親ばか日誌おしまい。
Thu Nov 04 00:45:46 +0000 2010長女「ここだけ食べちゃったよ!良くないの?食べちゃったよ!!」と泣きそうな顔で聞いてくる。「身が詰まってる部分と一緒に食べれば大丈夫。おまえはさっき一緒に食べてただろ!」と言うと「違うよ!別に食べたよ!一緒に食べてないよ!」「だから、一緒に、って言ったのは!」説明が面倒くさくなる
Thu Nov 04 00:44:32 +0000 2010長女が切り取った脂身を指して「ちょうだい!ちょうだい!」と言う。脂身だけ上げるわけにいかないので「脂身だけ食べると体に良くないんだよ」と言うと、一刹那、今度はむちゃくちゃ不安顔で「体に良くないの?私食べちゃったよ!体に良くないの?」と聞く。私「ここだけ食べると良くないの!」
Thu Nov 04 00:41:27 +0000 2010長女はパクパク食べて「美味しい!」とのこと。次女はうかがいながら「これ何?」と不審顔。無理してあげなくてもいいかと思い「脂身は確かに体に良くないからね」と一人ごち次女の脂身だけとってあげると、
Thu Nov 04 00:38:22 +0000 2010昨夜、子ども二人に豚ロース(厚め)を塩・胡椒・ニンニクで焼く。妻が作るときはいつも脂身をとるのだが、私は気づかずに脂身をつけたまま上げてしまった。すると、
Thu Nov 04 00:36:45 +0000 2010
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2010.10
ちなみに私の一番好きなサカナクションの曲は「夜の東側」
サカナクション「AME(B)」が私にとって惜しい曲なのは、逆説を組み込み、また饒舌を削ぎ落とすだけ削ぎ落とすことで、かつて体験したようなあの風景と情念と感覚を幻想させてくれるのに、実際の雨音を入れてしまってその幻想世界にミソをつけてしまっている点にある。もっと信じて!聴き手を!
Thu Oct 28 08:02:58 +0000 2010そう、西寺郷太は、リスナーのTLで多かったような「回顧」をしているわけではないのです。だから「聴けた」んです。 RT @yosh1ya: 光GENJI特集オモシロい!!!!番組中の郷太さんの『未来のポップミュージックのためにこの企画やりますから、日本の… #utamaru
それにしてもMJと光GENJIを並べて語れる西寺郷太が凄い。光GENJIの楽曲自体の「キラキラ」感には気づいていても(それでも私にすれば、歌うメンバーの声への生理的嫌悪はぬぐいがたいのだが)、時代史のなかに置き、それを表現史の提示にまで練り上げるなんて…。 #utamaru Sun Oct 24 13:01:50 +0000 2010
昨日のタマフル、一日経って。チャゲアスが光GENJIの楽曲をやっているのはカラオケで歌えば誰でも「発見」していたことだと思うが、チャゲと飛鳥とのA面とB面とでの「ユニット内コンペ」だというのはとてつもなく面白かった。 #utamaru
80年代、もしくは昭和末期を乗り越えるために捨て去った生け贄としての光GENJI。そしてMJ。 #utamaru
タマフルの「光GENJI」特集を聴いている。1懐かしい、2歌が下手、3実はチャゲアス、というありがちな切り口以外の切り口が、ホント楽しい。それにしても、オレの大好物の「下がっていくベースライン」が最高。そしてコーラスワークが意外に仕込まれているのは発見。 #utamaru
ふと思ったのだがperfume「love the world」って『ジョジョ』で『チョコレイト・ディスコ』が引用されたことへの返礼? 「love・『世界(ザ・ワールド)』
Sat Oct 23 12:56:47 +0000 2010冲方丁『天地明察』半分読んだところで寝る。これはおもしろい! よく描けてるなあ。
Mon Oct 11 14:29:43 +0000 2010ふと「吾妻ひでお」で検索をかけたら、「けいおん!」を見ての若干否定的な感想を吾妻ひでおが描いているのをとりあげた2ちゃんのスレがあったらしく、それへのレスの最初の方が「誰? 偉そうに」的なものばっかりだったのに笑った。
Sun Oct 10 01:12:17 +0000 2010練馬の図書館で前から読みたかった吾妻ひでおの『うつうつひでお日記』があったので借りたが、下手をすれば近くを吾妻ひでおがうろついているのかもしれないのだ!
Sat Oct 09 13:24:46 +0000 2010ツイートを見ていると、かつて耽溺したまんが群の作家さんたちが、本当に、今自分の住んでいる新居の生活圏の近くにおられることがわかる。この「肌でわかる感」にゾクゾクする。
Sat Oct 09 13:08:21 +0000 2010
2010.9
それにしても、bisはやっぱりいい! 安っぽい音でも、音楽の初期衝動を疑似体験させてくれるので、同好の士に私は一度も会ったことがないのだが、bisが大好きなのである。
Thu Sep 30 15:46:38 +0000 2010「よい国」をソフト化してほしい… #utamaru
Sat Sep 11 14:40:21 +0000 2010ただ「快刀乱麻」と聞いて、「赤頭巾快刀乱麻」(NHK)を先に思い出した。こっちもソフト化してほしい。 #utamaru
Sat Sep 11 14:21:00 +0000 2010坂口安吾の「安吾捕物帖」のドラマ化、「快刀乱麻」か。これは見たい。 #utamaru
Sat Sep 11 14:19:15 +0000 2010TO-Y!? #utamaru
Sat Sep 11 13:14:52 +0000 2010RT @hazuma: というか、ぶっちゃけ言うと、カンニングより、「カンニングしています」と堂々とツイートするほうがよほどやばい。大学制度への意識も、ネットへの意識も、すべてなにもかもやばい。なに考えているのだろう。
Fri Sep 03 12:34:29 +0000 20102010.8
日本で一番熱い街、練馬。水遊び中の娘がNHKからインタビューを受け、6時のニュースでも7時のニュースでも放映される。
「どしゃぶり」アコガレの、「作業の効率が上がる」というあたりが、最高に笑い死んだ。集団の言いしれぬ高揚感、って、アコガレる。 #utamaru
作業しながらタマフルの「アコガレ」特集をきちんと聞く。笑い転げる。笑い転げたあとに、「萌え」との差異に頭をめぐらせる(リスナーの投稿に多いのは「萌え」の例)。これは多分「萌え」ではない。新しい何かだ。 #utamaru
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2010.7
思えばにち10にはまったのは高校野球ネタからだった。すなわち、広島如水館のピッチャーの傲慢さに苦言を呈し、NHK高校野球解説の妙を語り倒し、ついでに「ハイ靴下!8・11靴下革命」を唱えた(大笑いした)ときからである。調べたら2006年8月だった。光陰如矢。 #nichiten
安住紳一郎の日曜天国、opはぼくたちの大好物、安住の高校野球ネタ。
たとえれば、「元ネタがわかっているとばかり思ってパロディを20年続けているうちに、読者は元ネタの存在など全然知らなくなっている」という状態。
あまり関係ないが(本当は関係あるが)、丸山真男「「である」ことと「する」こと」を、いま、きちんと現代高校生に読ませることは、必要だと思っている。丸山を神格化するという意味においてではなく。
2010.5
ということで『風雲児たち』を図書館で借りて1日1巻のペースで読み進めておる。無類に熱い!そしておもしろい!
タマフル、「矢島美容室」評、作品としての映画にしぼった真っ当な批評にすぎない。それを「とんねるずにつぶされる」「CXに干される」とすぐ直結して連想してしまう、私たちの無意識のタブーの柵というのは、根深いものがあることを、タマフルのタイムラインを見て思った。 #utamaru
別冊タマフル「世界一かわいいといわれている赤ちゃん特集」。赤ちゃんよりかわいいもの、の答えが、その赤ちゃんを育てている俺。という古川氏。激しく同意するぜ…。 #utamaru
2010.3
コーネリアス以来、と書いたが、考えてみると幼少期の、「日曜日の朝は~」から始まる長いCMの、「キューピーバックグラウンドミュージック」以来、と書いた方が正確かも。
Sun Mar 28 23:47:45 +0000 2010何気なくテレビをつけていてCMになり、おっ! と思わせるBGMが流れてテレビを見るとそれはだいたいキューピーのCM、という体験を、それこそコーネリアス以来しょっちゅうしている。
新スパイ大作好き
貰ったワインをがぶがぶ飲みながら、3ヶ月ぐらい貯めた毎日新聞を片っ端から読む。ピーター・グレイブスが亡くなっていたのは知らなかった。
Sun Mar 28 14:11:20 +0000 2010
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2010.2
スパイラルライフ「GAME OVER」のPVがあることを初めて知った。ニコ動でだけど。プレゼントに土曜日がほしい。すべてに解き放たれたような。の一節と、2番の出だしのハモりが超絶で、スパイラルのmy favoriteの一つ。
光野桃のコラムで「アンチ・アンチエイジング」というのがあって、これにいたく我が意を得たりの気分になった覚えがある。
でも最近は若いおばあさんも多くて一緒に視聴してるかもしれないからアリなんだろうな。フレッシュプリキュアも、4人めのプリキュアが誰かの中盤は結構相方ともめるぐらいおもしろがったものの、やっぱり絵柄は最後まで馴染めなかった。
ハートキャッチプリキュア、娘と観る。おもしろくなりそうなkufuはあるが、顔の崩しかたなどが今風で、自分としては生理的にあわない。おばあさんが元プリキュアってどんだけ新機軸
ある程度聴きあさって、満足しかけたとき、なんと海外にも輸出されていたのではないですか。ふと思い立って、megaman3 bgmで検索したら、あるわあるわわんさかリミックスやアレンジが出てくる。引くくらい出てくる。実際、引いた。世界の人たちも浪費してるなあ~
あるわあるわロックマン3のBGMのリミックスやアレンジが。我が意を得たりですよ。無駄な才能がたくさん浪費されてた(むろん褒め言葉である)
逃避でいろんなことをしたが、ふと十数年ぶりに、ロックマン3のシャドーマンのBGMが聴きたくなって(ゲーム自体十数年やってない)ネットで探したら
「ラストヴァース」もそうだけど、アルバムのなかに置いて聴くと、本当にいい。とてもいい。こんな音楽の黄金体験、本当に久々だ。
後記:子どもがリアルタイム視聴者だったフレッシュプリキュアの、キュアパッションが誰か的展開については、かなり面白がって観ていた。絵柄に慣れず仕舞いだったという感想がおもしろい。のちにネット界隈のキュアピーチを「兄貴」と呼ぶ見方にふれておもしろく受容する術を知ったけれども、当時の見方や感じ方はそれとはずいぶんちがう。認識というのはあとから書き換えられていくものだとしみじみ思う。ルパンとかラピュタなどにもこれ(リアルタイムの受け止め方や周りの評価と、時間が経った後の位置付けや評価とのくいちがい問題)を感じる。