Logue Nationサブノート

まんが自由研究サイト「ローグネーション」https://rinraku.hatenablog.jp/ で扱いにくいものや時事の話題、あるいは備忘録です。

twitter過去ログ(備忘録)

2011

RT @nobrock: 【ウレロ☆未確認少女お知らせ】1/1 深夜1時から、ウレロ新春SPと題して1話2話を一挙再放送&出演者コメント&DVDBOXの新作もろもろをちょい見せ! さらになんと!1/4から早くも再放送が決定!見逃したエピソードがある方はぜひ。なんだなんだ ...Fri Dec 30 08:37:18 +0000 2011
「なのです」という話法は、いちめん教育やさらには宗教にまで接近してしまう、と、ある雑誌を読んでいて思った。キメの部分で用いるのはいい。だが、あまり多用する文章に出会うと、恐ろしい。Mon Dec 12 09:12:21 +0000 2011
ピングドラム』で後半から執拗に繰り返されているのは、「である」ことと「する」ことの謂いでいえば、現代の親子・家族が「する」論理での関係となっていることのしんどさ、かしらん。子は、「子である」ことが親子・家族におけるアイデンティティでなければ子どもは狂う。Wed Dec 07 13:46:45 +0000 2011
ちなみに、先週の『タモリ倶楽部』でタワレコ社長がアイドルにはまったことを語るときに述べていた、「全然アイドルファンではなかったのに、本当に仕事で疲れ切っているときに、スッと入ってきた」という発言に、全力でうなづいている自分がいたのも事実である。Sun Dec 04 13:54:48 +0000 2011
でもたぶん最終話まで見ると「それがいいんじゃないか!!」と言いたくなっているのだろうとは思う。歴史と時間とはそういうものだ。Sat Dec 03 14:21:18 +0000 2011

うまく書けないな。喩と喩とがある水準において照応しあって諷喩を生むのなら、『ピングドラム』は、いくつかの諷喩が別の水準でそれぞれ張り巡らされていてもやもやが残る、という書き方の方がいいかな。近代物語患者の俺。

ようやく録り貯めていた『ピングドラム』を#17、18と見進めた。面白いのだけど、はじめからずっと感じ続けているのは、自分から、物語世界のなかの様々な事象間の距離感をものすごくとりづらいということ。このピントのずれた感じをもって、物語世界の謎を演出しようとするならそれは乗れない。

それと、冒頭の、ハマケン登場→OPにいきなり突入→後ろで舞台設営→暗転→次のシークエンス、って、もう本当に、まだ見ぬだけど懐かしい、涙が出るようなかーっこよい展開。最高。Sat Dec 03 12:31:28 +0000 2011

ウレロ☆未確認少女』第9話、面白すぎる。個人的な嗜好では、8話の、後半バカリズム脚本の話みたいのが好きなのだけど、今回は理屈抜きに面白れえ! それと月替わりのホワイトボードに確実にUFIのステップアップぶりが見て取れて笑える。Sat Dec 03 12:22:09 +0000 2011

ウレロ☆未確認少女』第6話。最初梶原善がキャラを作りすぎるように感じて違和感があった。観ていくと、梶原善のキャラが実は(言ってみれば)「キャラづくりキャラ」であることがわかるのが筋のおもしろみにつながるんだけど、最初の違和感の分だけちょっと楽しめなかったかな。Sat Nov 12 14:24:51 +0000 2011
RT @oka_c: 小学生時代のコンバットRECに「未来から来たあなたの嫁なんだけど、今から約30年後の2011年に藤波が……」と、私からも伝えにいかないといけない。Tue Nov 08 23:15:49 +0000 2011
あと、いろいろ周辺の動画にも手を伸ばしてしまい、3話の「デカ長!」「よくやった!カーディガン!」がアドリブだということを知った。たしかに飯塚が笑いをこらえている。最高。Sun Nov 06 15:16:31 +0000 2011

くそ忙しいので逃避に『ウレロ…』の第2話を見返してしまった。テレビから聞こえてくるなきむしつよし(?長渕のパロディ)の歌声はマキタスポーツだったんだな。いろいろ発見がある。Sun Nov 06 15:12:49 +0000 2011

しかも6人組のグループ「UFI」に覆面アイドルとして早見あかりがミスXとして参加する展開、その「UFI」の歌を歌っているのが、実はももクロZというメタ構造…。早見あかりの脱退も全て込みのネタなのではないかとすら思わせる。まあそれは無いにしても、レベル高ェ!

youなんとかtubeのコメ欄に「客の笑いいらない」「足した笑いがわざとらしい」とかあったが、ドリフ生まれアルフ育ちの私からすれば、「逆にリテラシーが足りないんじゃーい!!」と言いたい。

アドリブも入れているようなんだけど、脚本の本筋がきちんと(律儀なまでに)笑えるものとして作ってあるのが俺にはかなりポイント高し。この芸人さんたちにはポテンシャルがあるんだけど、それはわかったうえで、それに頼らないことを基本にしている、というか。

テレ東の「ウレロ☆未確認少女」が面白い。客を入れた、固定セットの、シチュエーションコメディー。ジョビジョバの「さるしばい」以来の期待度、ととりあえずは言っておきたい。テレビを随分まともに見ていないから、「さるしばい」以降面白いものもあったかもしれないけれど。

RT @janesu112: 芦田愛菜ちゃんが史上最年少のマドンナ、小桜として八面六臂の大活躍。そんな新作寅さん映画の製作記者発表を見る夢を見ました。おはようございます。Fri Nov 04 12:25:16 +0000 2011
やっと「ピングドラム」が追いついてきた。親子の問題はもうちょっとエヴァでおなかいっぱいなんだけど…Sun Oct 23 15:58:53 +0000 2011

男子高校生の日常』がアニメ化か…なんでもアリだな(ちなみに超好き)Sat Oct 22 10:22:43 +0000 2011

太平記、やっと3まで見終わった。楽しすぎる。

RT @hiranokohta: 腐女子はもっと、この「フジコの色香が全く通用しない」、「フジコがルパンに絡んでくるとあからさまにいやな顔がする(時には殺そうとすらする)」、「何度も何度も(何十年も)ルパンに、フジコと手を切れって言い続ける」五右衛門と次元に萌えるべき

「もしあなたが頭のいいテロリストで、ヨーロッパを壊滅しようと思ったら何をしますか、と。/私は笑って答えたよ。/一番簡単な方法は、輸送中の使用済み核燃料を奪い、そのコンテナーをただ単に爆破させることだとね。」

それでいま、最終8巻を読み耽ってしまった。「ねえ、豪士、暖かい冬の日ってとっても美しいと思わない?/こういう風景を見てると、私思うの…/この世界も捨てたもんじゃないって…私達守らなきゃ。/こんな美しい世界、二度とないって…だから…」

買い物の帰り、夕暮れの空を見入る。なぜか工藤かずや浦沢直樹『パイナップル・アーミー』(浦沢作品のなかで一番好きかもしれん)の最後のエピソードの一節が思い浮かぶ。

それにしても「福田予想」て…。かつて「フード理論特集」において「フード三原則」を「非核三原則」「ロボット三原則」と並べた福田先生の術語感覚に卒倒したのは間違いではなかった。 http://t.co/E4ddPfp  #utamaru

ようやく聴けたタマフル「チーム男子特集 feat.福田里香」が最高すぎて、これをブログにまとめるところから始めなければならない。そうしないと全ては始まらそうな気がする。

「ふくしま総文で高校生たちが「上を向いて歩こう」を合唱」の報。いつも思うが「上を向いて…」の割増し扱われ感は奇異なり。

今更の話だが、槇原敬之ゲスト回の安住「にち10」を聴く。槇原敬之のテンションや話題がいろいろ想像させてしまうぐらいヤバイ(いい意味で)。そして無声音の話になったとき「菊の花」という例を瞬時に提示できる安住GJ。

仕事で繰り返しネタを仕込むことがありそれなりには受けるのだが、「危ないな~前足で」(中略)「えっそんなんできるんですか!」の域には達したことはない

あとはピングドラムでキーになっている「95」という数字が謎。95が年だとすると、震災、オウム、エヴァなんだけどそういうダイレクトに現実と組み合う作品でもなさそうなんだよな…

ピングドラムを観て以来、街のピクトグラムが気になって仕方がない

休日出勤で地下鉄に乗って移動中なのだが『輪るピングドラム』観た影響で、何の根拠もないのに高揚感が異常。まあ都営大江戸線なんだけど。なんだこれ。

『レイン』は今評価が高そうなのだけど、本当に当時は、いつかわかるだろうと思って見続けて結局わからなかった。わかったつもりとわからないと表明する潔さとを天秤にかけて、後者をとった俺の判断は誤っていなかったと信じたい。

作画のツルツルサッパリ感(?)は好みだし、Opが(「眼鏡は顔の一部じゃなーい」でお馴染み)やくしまるえつこ相対性理論は間違いないし、時代の問題をうまく組み込んでいるし、ガジェットの照応関係もおもしろそうだし、とりあえず見続けたい。

信頼できるいくつかの筋が「輪るピングドラム」を推しているので、2話、3話と観てみた。これは面白くなりそうだが、エヴァ以降の謎系アニメで、きっと面白くなるだろう>グダグダ終わり、という経験をしてるから(一番の典型は『レイン』)まだ判断保留。

RT @suizou: さすが大阪のクソガキw…橋下大阪府知事が、幼稚園に訪問に。そこで橋下がガキに対して「あんまりテレビばっかり見んと、勉強せなあかんよ」みたいなことを笑顔で言った。するとガキが返す刀で「テレビ無かったら知事になられへんかったくせに」って

 

坂口安吾 :「安吾捕物帖」がアニメ化 「ノイタミナ」で10月放送 「ハガレン」スタッフが再集結 」とのこと。安吾捕物帖か…不安がないではないが一応観ないわけではない

ホームセンターで買い物をしていたら、BGMにNHKの怪作・「赤頭巾快刀乱麻」のop(近藤等則だたかな)が流れてぎょっとする。あの瞬間、ぎょっとした風の人を周囲に探したがとりあえずいなかったのは残念であった。

 

落合尚之版『罪と罰』が最近完結していたことをいま知った。どう料理してるのかしらん。買うか…。まそれはそれとして長い逃避を終え、仕事に戻ることとする。

ふと思ったけど、ドストエフスキー『白痴』の、ムイシュキンとロゴージンの関係は、『ジョジョ』でいうところの、ジョナサン・ジョースターとディオとの関係だといえる。

ドスちゃん『罪と罰』読了。巧い!長い! バフチンと、小林秀雄を再読してみたくなる。落合尚之版『罪と罰』は昔、1巻を読んだけど、これも手をつけられるな。

罪と罰』を読んだことが実はなかったので、いま読んでいる。私の好きなこち亀エピソードのなかで、両さんドストエフスキーを読むはめになる回があるが、両さんよろしく本当に人名で頭がぐるぐる回る。また新しい登場人物か!とそれですでに神経症になりそうだ。(でもおもしろい)

この理解の鋳型というのは本当にやっかいで、この、仕事/論文活動、の構図は、仕事/育児・家事、と揆を一にする。俺が可能なかぎり家事をし育児に関わるのは俺がそうあるべきだと思っているからだが、「尻に敷かれている」という枠組みで捉えないと気が済まない人もいるのだ。

もっとめんどくさいのは、仕事をやっているのに論文を書いたりしていると、「(本来は学者になりたかったのに)したくない仕事に就いている」と決めつけたがる人が一部にいること(他分野だけどね)。たぶん理解の鋳型に、こういう人生の在り方が存在しないんだろうな。

それにしても、好きなことを仕事にしている、というと、心底信じない人がいるから世の中は難しい。大変さや心底辛いことももちろんあるのだが。むろん仕事は大変が当然、という思考が少なからず内面化されているとも自己批判は時折してみるのだがね。

タマフル終了。俺が「社畜」特集を客観的に楽しめたのは、非社畜宇多丸ポストモダン社畜(=シャチ?)を目指す橋本P、アウトローに見えて実はモダン社畜的発想から出ないゲスト氏、という三者の「社畜」への距離感のどれもが、自分なりに覚えがあるからなのだろうな。 #utamaru

タマフル社畜」特集、こおばしい方向に転がっている。組織勤めに馴染みたくないからこそヒップホップに進んだ宇多丸にシンパシーを感じるリスナーが、社畜ポストモダンを企図した橋本Pの意図からやや外れた、むしろモダン社畜のゲストの発言に違和感を感じるという構図。 #utamaru

玄人のひとりごと」の中島徹が数ヶ月前に亡くなっていたことを、いま初めて知った。結構ショックだ。

 

レキシ「妹子なぅ」(『レキツ』)、「できたて法隆寺」と固有名詞的に言うあたり、素敵すぎる。しかもバックコーラスが「大ばばさま~」。あげく最後が「journey to the stars~♪」無敵すぎる。

Wed May 04 16:24:21 +0000 2011

仕事からの逃避で積ん読だった『ちはやぶる』を十巻、十一巻と読み進めている。千早の「「聞こえる」って言っていいんだ」のplay backに震える。『スラムダンク』の「俺は間違っていなかった」もそうだけど、俺の鳥肌ポイントは、アイデンティティの確認、自己否定→自己肯定の瞬間、らしい。

Fri Apr 29 09:41:00 +0000 2011

ラジオから聞こえてきた曲が思いっきり「camera!camera!camera!」リスペクトですばらしい確信犯!と思ってだれの歌かと思ったら、PANDA 1/2「PANDA! PANDA! PANDA!」だって。まんまじゃん!(褒めてます)

Sat Apr 09 13:35:08 +0000 2011

なぜ安吾が頭をよぎるのか、まだ言語化できない。そして、無理に言語化しない。今はまだ震災の現在進行形だ。祈るのみ、行動するのみ。

Sat Mar 19 17:06:12 +0000 2011

ともあれ、東京に生きて感じているここ数日の感覚は、忘れないようにしたい。忘れようがないかもしれない。ところどころで、坂口安吾堕落論』が語る、安吾が戦争中に見た光景が、とにかく頭をよぎる。東京に住む者たちの「驚くべき充満と重量をもつ無心」…。

Sat Mar 19 17:02:52 +0000 2011

それにしても今戦っている方々の無事と安寧を祈るほかない。

大変なことだ。このうんざりするような悪夢が、明日になると今日の映像がBGMつきでヘビーローテーションされるだろう。それはまた別の悪夢。明日は新情報を求める以外、テレビをつける気はしない。後者の悪夢は人為的にとめられるはずなのだが…。

まてよ、書き手(描き手)としてのヒーローを挙げてたのだった。小学生の三大ヒーローは、新沢基栄藤子不二雄所ジョージ、だな。所ジョージの昔話シリーズの影響は相当に強い。

奇面組のギャグで一番好きなのは「表札!/使えるかこんなもん!」

RT @Remi_Hirano: 夫はパソコンできません。「ツイッターくらいやりなさいよ」って言ったら「俺は週刊文春の表紙を30年以上やってて、毎週表紙の言葉を書いてるんだ。あのコーナーは140字だから、昔からツイッターやってるようなもんだ」と威張ってます。

「出入り業者」対「社畜」に笑う。よみがえる名言「出入り業者がみんなでワッショイ」 #utamaru

Sat Feb 19 13:31:46 +0000 2011 

移動中にち10を聴いている。エアロトが番組にとって本当にトラウマになっていて笑った。 #nichiten

Sun Feb 13 01:21:00 +0000 2011

RT @Takashi_Shiina: あと、おキヌが生き返った20巻以降のエピソードは実はあんまりよく覚えてない。だから読み返すと新鮮。

Sat Feb 12 16:53:34 +0000 2011

予告編の絶妙さに敬意を表してネタバレは避ける。「全編バカ映画」ではないところがいい。キックアスの行動原理とその行動、ヒットガールの行動原理とその行動が、かみ合うところはありながら実はかみあっていないところが、なんだかとても良かったように印象づけられています。

息詰まる場面は息詰まりつつ、腹ァ抱えて笑う場面は腹ァ抱えて笑う(まわりは真剣に観ていてあわてて座し直す)。そして、実はヒットガールよりビッグ・ダディ(ニコラス・ケイジ)が最高。あと、見終わったあとに分かる、予告編の絶妙さ。http://bit.ly/gV0Lnh

まあ面白いのなんの。現代にヒーローはどう可能か、についてはいくつかの解答が既に提出されているようではあるが、それらの解答を承けたうえでのキックアスとヒットガール、といえましょう。最初の「飛ぶ→失敗する」のシーンは伏線なんだな。いま気づいた。

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。まちがえた。娘を風呂に入れ、眠らせてから、『キック・アス』を大泉学園のレイトで観る。客は10人ほど。最高。むろん明日は朝から仕事。

はあまりに乱暴かつデリカシーがなくて、不快感を感じるのである。初めに述べたとおり、事実としては「寄付」されたものは有益だし、善意あってのことだから良いのだが、それが批判も圧してしまうのも厭(善意ファシズム?)なので述べた。

追記。抽象度が高い「金」を「あえて贈らない」という選択はありうる。流用などを危惧したり、また自分の寄付行為にある程度の方向性と意志を与えたい場合などがそれであろう。今回の件はそういう含みもあるのだとは思うけれど、報道されたいくつかの例は、社会のなかで生きる大人がしでかすこととして

だが、そのことを全国の「伊達直人」たち(『タイガーマスク』に思い入れがある人たちを除く)に教えると、「それはちょっと違う」と言われてしまうのではないか? その、「それはちょっと違う」的メンタリティを(勝手に)妄想して、私は「気持ち悪さ」を感じるのである。

一番抽象度が高いのは、もちろん「金」だ。だから「金」を寄付している人は、実はたくさんいる。贈与者の名が明記されるシステムもある。名は知らせるが公表はしないシステムもある。名を知らせないで贈るだけのシステムもある。贈与者のスタンスによってそれは選べる。ちなみに

その子に適した具体的なものを贈ることはOKだ。だが、具体的に顔と名前が一致しない子ども集団に対して、あまり具体的なものを贈ると、もらった側が本当に欲しいものに適合しないと私たちはふつう考える。だから「つぶしのきく」ものを贈る。贈られた側を困らせることは避けたいと思うのが当然だ。

いったいどういう子たちをイメージしているのだ? 贈与において、その贈与物が慣例的なものでないかぎりは、相手をどれぐらい具体的に知っているか/抽象的にしか知らないかという度合いによって、贈与物も具体/抽象度を調整すべきであるはずだ。つまり、相手を顔を知っているなら、

いくつかの例においては、贈られた側が扱いに困るようなものを贈っている(生ものなど)ようなフシも、報道から感じ取れる。それだけでない。「運動」が拡散するにつれ、贈るものが「かわいそうな子に」という、ものすごくアバウトなイメージで選択されている。「かわいそうな子」とは、

ちなみに、寡聞にして知らないが、桃太郎は奪い返した財宝を、民に返したのだろうか? まさか自分のものに全てしたとは思わないが、民に返してやったとして、その行為はむろん善であるのだろうけれど、「奪われたものの奪取」であって、寄付や恩返し・恩送り(c内田樹)ではないはずだ。

Thu Jan 13 04:49:43 +0000 2011

伊達直人なら、ギリギリ俺のなかではOKなのだ。そこには、「自己顕示」よりも梶原一騎タイガーマスク』をめぐる<物語>への思い入れが優先されるように感じられるからだ。矢吹丈は…まあ梶原一騎の流れと考えればご愛嬌なのだが、「桃太郎」を名乗った人は、そりゃ善意の人なのだろうがどうなのだ

Thu Jan 13 04:43:58 +0000 2011

私は「偽善も善」という言い方を好む類の人間である。そのうえで言うのだが、この雨後の竹の子のような「名乗り&寄付」は、ものすごく「気持ち悪い」。「伊達直人」以外の名乗り(ex矢吹丈)は、そこから、「匿名」なのに「自己顕示」という座りの悪さが、ひしひしと伝わってくるからなのだ。

Thu Jan 13 04:40:56 +0000 2011

マスコミが報じる見出しの「タイガーマスク現象」と「タイガーマスク運動」は意味合いが全然異なる。「運動」にしてはダメだ。しいていうなら、「タイガーマスク運動」であるなら「伊達直人」名義のそれのみに限るべきである。

Thu Jan 13 04:34:07 +0000 2011

伊達直人世代と伊達臣人世代なら完全に後者。

Wed Jan 12 12:54:39 +0000 2011

飛翔シーンでヒックがペーパーを落としてから(←ペーパー=机上の空論。それを落とす。記号的に律儀!それがいい!)の展開はとくに鳥肌ものだが、ついにトゥースの両翼から二本の筋が! 脳裏をよぎる「すげえ! 豚が雲を引いたぞ!!」 激燃えですよ。

ヒックとドラゴン」BD、子どもと借覧。最後の「アレ」、重いことだけど、トゥースの「アレ」との構造的な呼応とともに、その供儀なしに人間世界がドラゴンを馴化しえなかったことを示す神話的な話といえなくもない。

Wed Jan 05 13:46:14 +0000 2011

RT @masyuuki: 実は駿平とひびきの初体験シーンは、もう少し念入りなネームを描きかけたことがある。少年誌でそこまでやることはないかと思って引っ込めたが、年少の読者にはどうして赤ちゃんが出来たのか理解らなかったのではないかと、今でも心配である(笑)