twitter過去ログ(備忘録)
2011
うまく書けないな。喩と喩とがある水準において照応しあって諷喩を生むのなら、『ピングドラム』は、いくつかの諷喩が別の水準でそれぞれ張り巡らされていてもやもやが残る、という書き方の方がいいかな。近代物語患者の俺。
ようやく録り貯めていた『ピングドラム』を#17、18と見進めた。面白いのだけど、はじめからずっと感じ続けているのは、自分から、物語世界のなかの様々な事象間の距離感をものすごくとりづらいということ。このピントのずれた感じをもって、物語世界の謎を演出しようとするならそれは乗れない。
『ウレロ☆未確認少女』第9話、面白すぎる。個人的な嗜好では、8話の、後半バカリズム脚本の話みたいのが好きなのだけど、今回は理屈抜きに面白れえ! それと月替わりのホワイトボードに確実にUFIのステップアップぶりが見て取れて笑える。Sat Dec 03 12:22:09 +0000 2011
くそ忙しいので逃避に『ウレロ…』の第2話を見返してしまった。テレビから聞こえてくるなきむしつよし(?長渕のパロディ)の歌声はマキタスポーツだったんだな。いろいろ発見がある。Sun Nov 06 15:12:49 +0000 2011
しかも6人組のグループ「UFI」に覆面アイドルとして早見あかりがミスXとして参加する展開、その「UFI」の歌を歌っているのが、実はももクロZというメタ構造…。早見あかりの脱退も全て込みのネタなのではないかとすら思わせる。まあそれは無いにしても、レベル高ェ!
youなんとかtubeのコメ欄に「客の笑いいらない」「足した笑いがわざとらしい」とかあったが、ドリフ生まれアルフ育ちの私からすれば、「逆にリテラシーが足りないんじゃーい!!」と言いたい。
アドリブも入れているようなんだけど、脚本の本筋がきちんと(律儀なまでに)笑えるものとして作ってあるのが俺にはかなりポイント高し。この芸人さんたちにはポテンシャルがあるんだけど、それはわかったうえで、それに頼らないことを基本にしている、というか。
テレ東の「ウレロ☆未確認少女」が面白い。客を入れた、固定セットの、シチュエーションコメディー。ジョビジョバの「さるしばい」以来の期待度、ととりあえずは言っておきたい。テレビを随分まともに見ていないから、「さるしばい」以降面白いものもあったかもしれないけれど。
『男子高校生の日常』がアニメ化か…なんでもアリだな(ちなみに超好き)Sat Oct 22 10:22:43 +0000 2011
太平記、やっと3まで見終わった。楽しすぎる。
RT @hiranokohta: 腐女子はもっと、この「フジコの色香が全く通用しない」、「フジコがルパンに絡んでくるとあからさまにいやな顔がする(時には殺そうとすらする)」、「何度も何度も(何十年も)ルパンに、フジコと手を切れって言い続ける」五右衛門と次元に萌えるべき
「もしあなたが頭のいいテロリストで、ヨーロッパを壊滅しようと思ったら何をしますか、と。/私は笑って答えたよ。/一番簡単な方法は、輸送中の使用済み核燃料を奪い、そのコンテナーをただ単に爆破させることだとね。」
それでいま、最終8巻を読み耽ってしまった。「ねえ、豪士、暖かい冬の日ってとっても美しいと思わない?/こういう風景を見てると、私思うの…/この世界も捨てたもんじゃないって…私達守らなきゃ。/こんな美しい世界、二度とないって…だから…」
それにしても「福田予想」て…。かつて「フード理論特集」において「フード三原則」を「非核三原則」「ロボット三原則」と並べた福田先生の術語感覚に卒倒したのは間違いではなかった。 http://t.co/E4ddPfp #utamaru
「ふくしま総文で高校生たちが「上を向いて歩こう」を合唱」の報。いつも思うが「上を向いて…」の割増し扱われ感は奇異なり。
今更の話だが、槇原敬之ゲスト回の安住「にち10」を聴く。槇原敬之のテンションや話題がいろいろ想像させてしまうぐらいヤバイ(いい意味で)。そして無声音の話になったとき「菊の花」という例を瞬時に提示できる安住GJ。
仕事で繰り返しネタを仕込むことがありそれなりには受けるのだが、「危ないな~前足で」(中略)「えっそんなんできるんですか!」の域には達したことはない
『レイン』は今評価が高そうなのだけど、本当に当時は、いつかわかるだろうと思って見続けて結局わからなかった。わかったつもりとわからないと表明する潔さとを天秤にかけて、後者をとった俺の判断は誤っていなかったと信じたい。
作画のツルツルサッパリ感(?)は好みだし、Opが(「眼鏡は顔の一部じゃなーい」でお馴染み)やくしまるえつこ@相対性理論は間違いないし、時代の問題をうまく組み込んでいるし、ガジェットの照応関係もおもしろそうだし、とりあえず見続けたい。
信頼できるいくつかの筋が「輪るピングドラム」を推しているので、2話、3話と観てみた。これは面白くなりそうだが、エヴァ以降の謎系アニメで、きっと面白くなるだろう>グダグダ終わり、という経験をしてるから(一番の典型は『レイン』)まだ判断保留。
RT @suizou: さすが大阪のクソガキw…橋下大阪府知事が、幼稚園に訪問に。そこで橋下がガキに対して「あんまりテレビばっかり見んと、勉強せなあかんよ」みたいなことを笑顔で言った。するとガキが返す刀で「テレビ無かったら知事になられへんかったくせに」って
ホームセンターで買い物をしていたら、BGMにNHKの怪作・「赤頭巾快刀乱麻」のop(近藤等則だたかな)が流れてぎょっとする。あの瞬間、ぎょっとした風の人を周囲に探したがとりあえずいなかったのは残念であった。
ふと思ったけど、ドストエフスキー『白痴』の、ムイシュキンとロゴージンの関係は、『ジョジョ』でいうところの、ジョナサン・ジョースターとディオとの関係だといえる。
『罪と罰』を読んだことが実はなかったので、いま読んでいる。私の好きなこち亀エピソードのなかで、両さんがドストエフスキーを読むはめになる回があるが、両さんよろしく本当に人名で頭がぐるぐる回る。また新しい登場人物か!とそれですでに神経症になりそうだ。(でもおもしろい)
この理解の鋳型というのは本当にやっかいで、この、仕事/論文活動、の構図は、仕事/育児・家事、と揆を一にする。俺が可能なかぎり家事をし育児に関わるのは俺がそうあるべきだと思っているからだが、「尻に敷かれている」という枠組みで捉えないと気が済まない人もいるのだ。
もっとめんどくさいのは、仕事をやっているのに論文を書いたりしていると、「(本来は学者になりたかったのに)したくない仕事に就いている」と決めつけたがる人が一部にいること(他分野だけどね)。たぶん理解の鋳型に、こういう人生の在り方が存在しないんだろうな。
それにしても、好きなことを仕事にしている、というと、心底信じない人がいるから世の中は難しい。大変さや心底辛いことももちろんあるのだが。むろん仕事は大変が当然、という思考が少なからず内面化されているとも自己批判は時折してみるのだがね。
タマフル終了。俺が「社畜」特集を客観的に楽しめたのは、非社畜の宇多丸、ポストモダン社畜(=シャチ?)を目指す橋本P、アウトローに見えて実はモダン社畜的発想から出ないゲスト氏、という三者の「社畜」への距離感のどれもが、自分なりに覚えがあるからなのだろうな。 #utamaru
タマフル「社畜」特集、こおばしい方向に転がっている。組織勤めに馴染みたくないからこそヒップホップに進んだ宇多丸にシンパシーを感じるリスナーが、社畜のポストモダンを企図した橋本Pの意図からやや外れた、むしろモダン社畜のゲストの発言に違和感を感じるという構図。 #utamaru
レキシ「妹子なぅ」(『レキツ』)、「できたて法隆寺」と固有名詞的に言うあたり、素敵すぎる。しかもバックコーラスが「大ばばさま~」。あげく最後が「journey to the stars~♪」無敵すぎる。
Wed May 04 16:24:21 +0000 2011仕事からの逃避で積ん読だった『ちはやぶる』を十巻、十一巻と読み進めている。千早の「「聞こえる」って言っていいんだ」のplay backに震える。『スラムダンク』の「俺は間違っていなかった」もそうだけど、俺の鳥肌ポイントは、アイデンティティの確認、自己否定→自己肯定の瞬間、らしい。
Fri Apr 29 09:41:00 +0000 2011ラジオから聞こえてきた曲が思いっきり「camera!camera!camera!」リスペクトですばらしい確信犯!と思ってだれの歌かと思ったら、PANDA 1/2「PANDA! PANDA! PANDA!」だって。まんまじゃん!(褒めてます)
Sat Apr 09 13:35:08 +0000 2011なぜ安吾が頭をよぎるのか、まだ言語化できない。そして、無理に言語化しない。今はまだ震災の現在進行形だ。祈るのみ、行動するのみ。
Sat Mar 19 17:06:12 +0000 2011ともあれ、東京に生きて感じているここ数日の感覚は、忘れないようにしたい。忘れようがないかもしれない。ところどころで、坂口安吾『堕落論』が語る、安吾が戦争中に見た光景が、とにかく頭をよぎる。東京に住む者たちの「驚くべき充満と重量をもつ無心」…。
Sat Mar 19 17:02:52 +0000 2011それにしても今戦っている方々の無事と安寧を祈るほかない。
大変なことだ。このうんざりするような悪夢が、明日になると今日の映像がBGMつきでヘビーローテーションされるだろう。それはまた別の悪夢。明日は新情報を求める以外、テレビをつける気はしない。後者の悪夢は人為的にとめられるはずなのだが…。
奇面組のギャグで一番好きなのは「表札!/使えるかこんなもん!」
RT @Remi_Hirano: 夫はパソコンできません。「ツイッターくらいやりなさいよ」って言ったら「俺は週刊文春の表紙を30年以上やってて、毎週表紙の言葉を書いてるんだ。あのコーナーは140字だから、昔からツイッターやってるようなもんだ」と威張ってます。
移動中にち10を聴いている。エアロトが番組にとって本当にトラウマになっていて笑った。 #nichiten
Sun Feb 13 01:21:00 +0000 2011RT @Takashi_Shiina: あと、おキヌが生き返った20巻以降のエピソードは実はあんまりよく覚えてない。だから読み返すと新鮮。
Sat Feb 12 16:53:34 +0000 2011予告編の絶妙さに敬意を表してネタバレは避ける。「全編バカ映画」ではないところがいい。キックアスの行動原理とその行動、ヒットガールの行動原理とその行動が、かみ合うところはありながら実はかみあっていないところが、なんだかとても良かったように印象づけられています。
息詰まる場面は息詰まりつつ、腹ァ抱えて笑う場面は腹ァ抱えて笑う(まわりは真剣に観ていてあわてて座し直す)。そして、実はヒットガールよりビッグ・ダディ(ニコラス・ケイジ)が最高。あと、見終わったあとに分かる、予告編の絶妙さ。http://bit.ly/gV0Lnh
まあ面白いのなんの。現代にヒーローはどう可能か、についてはいくつかの解答が既に提出されているようではあるが、それらの解答を承けたうえでのキックアスとヒットガール、といえましょう。最初の「飛ぶ→失敗する」のシーンは伏線なんだな。いま気づいた。
はあまりに乱暴かつデリカシーがなくて、不快感を感じるのである。初めに述べたとおり、事実としては「寄付」されたものは有益だし、善意あってのことだから良いのだが、それが批判も圧してしまうのも厭(善意ファシズム?)なので述べた。
追記。抽象度が高い「金」を「あえて贈らない」という選択はありうる。流用などを危惧したり、また自分の寄付行為にある程度の方向性と意志を与えたい場合などがそれであろう。今回の件はそういう含みもあるのだとは思うけれど、報道されたいくつかの例は、社会のなかで生きる大人がしでかすこととして
だが、そのことを全国の「伊達直人」たち(『タイガーマスク』に思い入れがある人たちを除く)に教えると、「それはちょっと違う」と言われてしまうのではないか? その、「それはちょっと違う」的メンタリティを(勝手に)妄想して、私は「気持ち悪さ」を感じるのである。
一番抽象度が高いのは、もちろん「金」だ。だから「金」を寄付している人は、実はたくさんいる。贈与者の名が明記されるシステムもある。名は知らせるが公表はしないシステムもある。名を知らせないで贈るだけのシステムもある。贈与者のスタンスによってそれは選べる。ちなみに
その子に適した具体的なものを贈ることはOKだ。だが、具体的に顔と名前が一致しない子ども集団に対して、あまり具体的なものを贈ると、もらった側が本当に欲しいものに適合しないと私たちはふつう考える。だから「つぶしのきく」ものを贈る。贈られた側を困らせることは避けたいと思うのが当然だ。
いったいどういう子たちをイメージしているのだ? 贈与において、その贈与物が慣例的なものでないかぎりは、相手をどれぐらい具体的に知っているか/抽象的にしか知らないかという度合いによって、贈与物も具体/抽象度を調整すべきであるはずだ。つまり、相手を顔を知っているなら、
いくつかの例においては、贈られた側が扱いに困るようなものを贈っている(生ものなど)ようなフシも、報道から感じ取れる。それだけでない。「運動」が拡散するにつれ、贈るものが「かわいそうな子に」という、ものすごくアバウトなイメージで選択されている。「かわいそうな子」とは、
ちなみに、寡聞にして知らないが、桃太郎は奪い返した財宝を、民に返したのだろうか? まさか自分のものに全てしたとは思わないが、民に返してやったとして、その行為はむろん善であるのだろうけれど、「奪われたものの奪取」であって、寄付や恩返し・恩送り(c内田樹)ではないはずだ。
Thu Jan 13 04:49:43 +0000 2011伊達直人なら、ギリギリ俺のなかではOKなのだ。そこには、「自己顕示」よりも梶原一騎『タイガーマスク』をめぐる<物語>への思い入れが優先されるように感じられるからだ。矢吹丈は…まあ梶原一騎の流れと考えればご愛嬌なのだが、「桃太郎」を名乗った人は、そりゃ善意の人なのだろうがどうなのだ
Thu Jan 13 04:43:58 +0000 2011私は「偽善も善」という言い方を好む類の人間である。そのうえで言うのだが、この雨後の竹の子のような「名乗り&寄付」は、ものすごく「気持ち悪い」。「伊達直人」以外の名乗り(ex矢吹丈)は、そこから、「匿名」なのに「自己顕示」という座りの悪さが、ひしひしと伝わってくるからなのだ。
Thu Jan 13 04:40:56 +0000 2011マスコミが報じる見出しの「タイガーマスク現象」と「タイガーマスク運動」は意味合いが全然異なる。「運動」にしてはダメだ。しいていうなら、「タイガーマスク運動」であるなら「伊達直人」名義のそれのみに限るべきである。
Thu Jan 13 04:34:07 +0000 2011伊達直人世代と伊達臣人世代なら完全に後者。
Wed Jan 12 12:54:39 +0000 2011飛翔シーンでヒックがペーパーを落としてから(←ペーパー=机上の空論。それを落とす。記号的に律儀!それがいい!)の展開はとくに鳥肌ものだが、ついにトゥースの両翼から二本の筋が! 脳裏をよぎる「すげえ! 豚が雲を引いたぞ!!」 激燃えですよ。
「ヒックとドラゴン」BD、子どもと借覧。最後の「アレ」、重いことだけど、トゥースの「アレ」との構造的な呼応とともに、その供儀なしに人間世界がドラゴンを馴化しえなかったことを示す神話的な話といえなくもない。
Wed Jan 05 13:46:14 +0000 2011RT @masyuuki: 実は駿平とひびきの初体験シーンは、もう少し念入りなネームを描きかけたことがある。少年誌でそこまでやることはないかと思って引っ込めたが、年少の読者にはどうして赤ちゃんが出来たのか理解らなかったのではないかと、今でも心配である(笑)