twitter過去ログ(備忘録)
2013
うーむ、一昨日年賀状を終わらせ、昨日今日と大急ぎで大掃除をして「歯ブラシの掃除力マジヤバイ」とか馬鹿なことを書こうとした気分が吹き飛んでしまった。さようならアメリカ、さようならニッポン。私たちはどこまでそう言い続けなければならないのかわからない年の終わりに。
大瀧詠一亡くなったのか!
川島幸希『国語教科書の闇』(新潮新書)読了。筆者の述べるように野中潤に寄るところ大だと思うけれど(野中潤の著作はやくまとまらないかな)、定番化に少なからず経済の問題があるという発見(とは言っていないが)がありよかった。ルポとしての価値はある。
RT @janesu112: エイドリアンじゃなくて自分がロッキーだから #102個目のプロポーズされない理由
く↑まモン #top954
劇場版の『まど☆マギ』を、事前情報をほとんど入れずに観てきた。バトルフィーバーJっぽくてよかった。
謎に包まれた存在・サンタは、子どもに夢と希望と商品獲得の喜びを与え、思春期の青年に懐疑心と寂寥がもたらす成長を与え、企業にいくばくかの利益をもたらすという、夢の思念体だということになる。
私は数年来恐怖していた。サンタシステムが子どもに露顕した瞬間を想定してだ。だがもうこの恐怖の必要はない。露顕の瞬間、「サンタが俺の肉体と精神を用いて行ったことだ」と言えばよいからだ。だがこの『世界の秘密』に気づいてしまった俺は、サンタに消されるという新たな恐怖に怯えることになる。
サンタクロースの存在を疑う者こそ、サンタクロースの掌で最も踊らされている存在にほかならぬ。──この真理に到達した私はいま、虚脱感に襲われている。私は何もわかっていなかった…。
今日突然に天啓を得た。即ち、サンタは実在する。間違いない。ただその実在の在り方は私たちが議論する際の前提となるような形式ではない。サンタは、大人の無意識に侵入し、子どもへの愛情と商品購買の義務感を生じさせ、しかしあたかも主体的に愛し購買したかのように記憶操作する、思念体なのだ。
詩人にして研究者・藤井貞和という人物を、折口信夫との関係性のなかで論じる人が今後出てくるだろう(ときどき文体に折口が憑いているのではないかと思わせる瞬間がある)。それを読んでみたいなあ。複雑すぎてわくわくする。
藤井貞和編『折口信夫古典詩歌論集』(岩波文庫)読了。藤井さんのセレクトが絶妙。「評価の反省」が殊に良かった。それにしても、やっぱり折口への対し方(というほどたいそうなことではない)は、十年ほど前とは変わってきている自分がい。
サザエさん音楽大全、さらに。堀江美都子の火曜サザエさんの主題歌はふだん口ずさむぐらいには覚えているのだが、「ハッピーデイサザエさん」(松尾香)は完全に忘れていた。うわ懐かしい、という気分。嬉しい不意打ちや。
ちなみに高校生のとき、高3予餞会で全校生徒を前に部活ごとに演し物をするというとち狂った企画をやった年があるが、我が部は俺と友人の二人でステージから「サザエさん一家」をマイナーコードで弾いて歌うということをやったことをいま突然思い出した!
「サザエさん音楽大全」が届いた。「レッツゴー・サザエさん」と火曜サザエさんの歴代の主題歌が収録されているという報で即予約していた(一度発売が中止になってがっかりしただけにうれしさは一入)のだが、なんと「レッツゴー・サザエさん」のoff vocalも入っている! 感涙。
なんとなくダラダラとニコ動でスクーデリアエレクトロ関連を見ていたら、「better days」に結婚式の退場でBGMにかけた、というコメントに、自分も自分も、と数件コメントが付されていた。そして何を隠そう俺もBGMにしたのであった。同じこと考えるもんです。
RT @takuya1975: ヘイドン・ホワイトの『メタヒストリー』翻訳刊行が三年前に告知されたまま立ち消えになっている件だが、先日あるシンポジウムに参加したところ、ある発表者の言によれば、現在校正段階にあるとのことだった。何にせよ着々と進んでいるようで、慶賀の至り。
藤井貞和編『折口信夫古典詩歌論集』(岩波文庫)をダラダラ読み進めているが、なんかいいな。昔みたいに構えず読めている自分がいる気がする。折口が歌を評価するときの「わるい」の中身をつきつめるといろいろわかることがあるような気がするが、誰かがやってるんだろうな。
RT @kasamashoin: なんと! 【日曜あさ10時~TBSラジオ(AM954)「安住紳一郎の日曜天国」。11月24日、11時台のゲストは、和歌研究の第一人者、東京大学大学院教授・渡部泰明さん。番組サイト→ http://t.co/CeYqrYwK8H #nichit…
私が奥田民生「さすらい」を愛するのは、坂口安吾が何度も繰り返す「暗夜の曠野をいく」ことの現代的翻案であるからだ。そしてそれは紫の上や浮舟たちの「さすらひ」を、能動の方へと背負うことの宣言でもあるからだ。
大江初期の執拗な、抽象的性的表現(notセックス描写)は、そのしつこさにおいてキライではない。
津村記久子『ポトスライムの舟』読了。面白かった。最初は随分図式的だと思ったが、家に子連れの友人が転がり込むあたりから話に引き込まれていったな。同時代性と普遍性が適度に入り交じっている感。
金で行われていた教育が欠落していることの影響は、これからさらに大きく出てくるでしょう」。似たようなことは佐久間正英氏か誰かも言っていたような気がする。
レコード会社に体力がなくなって、デビュー前のバンドに教育ができない弊害にも言及。「教育はどうしてもコストをかけなければできないところがある。僕らのようないい年のおっさんは自分のやり方次第でどうにでもなりますが、これから若者が新しいものを作っていく上で、かつてはメーカーが投入する資
なって突然バンドを始める」「そういう子に理論的な指摘をすると、「いや、僕のフィーリングはこうなんです!」なんて、変なつっぱり方をされてしまう(笑)。これは算数や理科のように、学問として音楽を学ばずに成長してしまったことの弊害です。」
(承前)「ピアノやヴァイオリンが高等で上品な“習い事教育”として捉えられている」「日本では、学校は音楽教育にまったく重きを置いていないし、楽器が身近で気軽なものじゃなく、ハードルが高いものになっている。つまり、何の教育も受けず、幼いころから楽器と親しんでもいない子たちが、高校生に
下の石田小吉のインタビューおもしろい。>「リズム隊」という言い方がよくなくて、リズムやグルーヴは本来、ヴォーカルによるところが大きいんです。一番リズムに気をつけなければいけないのに、「リズム隊」という言葉で、リズムをドラムとベースに押し付け、ヴォーカルは知らん顔。
デビュー20周年の鬼才・石田ショーキチ登場 Spiral Lifeと90年代の音楽シーンを振り返る http://t.co/v20VmurCpb @realsoundjpさんから
RT @lo_nlo_kl: 3人ともすごく真剣に下の話してはる #われらラジオ世代 #jolf
RT @ultraact: 明解な答えが返ってこないんだ #jolf
RT @rusiruhuru: タモリ「あんまり社会と関わりたくない」w #jolf
RT @machi_cco: タモリ「勝手にやってるから勝手に見てくれたほうがいいんだよね」 #jolf
RT @mwk_r: あんまり社会と関わりたくないw #jolf
RT @geniuskatochan: タモさんの特番を聞いています。きょうで確信しました。やっぱりタモさんはラジオに帰ってくるべき人だと。ダイナマイク以降しか知らない世代ですが、自由奔放なラジオを期待せずにはいられません。 #jolf #gogoban
RT @nakano4plaza: しかし、タモリさんと久保・能町さんコンビの絡みが凄いな(;・∀・) #jolf
RT @takakuratch: 「キッチンがゆく」批判wwwww #jolf
RT @tanabeyuuta1234: タモリ倶楽部ぐらいほのぼのしてる(笑) #jolf
RT @gmksky: 現在で久保・能町をセレクトするのが何か凄いw #jolf
お笑いナタリー - タモリのニッポン放送60周年記念番組、本日から3夜連続 http://t.co/9E89Ik1G80
そこで中島らも「明るい悩み相談室」を知り、「啓」という署名の人の日曜欄のコラムもおもしろがる。そして夕刊のコラムで鴻上尚史という人を知る。そういうなかで、人がいっけん論じないようなことを論じる楽しさを知ったのだ、たぶん。
天野祐吉死去。どこかに書いたが、小3か小4か、母親にとしまえんのCMに触れた「私のCMウオッチング」を勧められて家庭欄を読み始めたのが新聞を読むはじめだった。自分の新聞好き、批評好きはたぶんここから始まっている。感謝。
@yuming17 うん、面白い。面白い要素を一つひとつあげていくと、その一つ一つは場合によっては短所にもなりうるんだけど、ぎりぎりのところで長所として成立させている、そのバランス感覚がよいんだな。「サンデー」だとこういうまんがが成立するんだよね。作者と編集の勝利だと思う。
もちろん、八軒父がトイレのアレをもってヌッと立っているという構図は、6巻最後で過労で入院した八軒の病室を訪れる八軒父の構図のセルフパロディ。こういうのを入れてくるあたりも好きだな。『銀の匙』でちょっとした文章書きたいな。
『銀の匙』9巻に、 八軒「豚汁うまかったぞ あれ麦飯とけっこう合うのな」わはは というコマがあるのだが、これ、『こち亀』の両さん引用じゃないかと疑っているんだけど、何のコマだったか思い出せない。全然違うかも。
RT @janesu112: 毎度毎度、自著の話で申し訳ございません。が、Amazonはどういう基準でジャンル分けをしているのか、すごく気になります。今度は「倫理学・道徳」のカテゴリーに入りました。『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』 http://t…
この立場からのこういう本って、本当に発明ではないか。ちょっと気の利いた識者が世代論やら現代社会論のマクラに取り上げそうでそれはちょっと読みたくもあり読みたくもなし。
ジェーン・スー『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』読了、と言いたいのだが、まだ読みきれていない。徐々に読み進めているがそれが楽しい。しまおまほの言うとおり、「比喩ではなくまさかホントに101あるとは…」という嬉しい悲鳴。
週刊誌での長期連載で、きちんと作劇法を敷く(もちろん進行によって最初の設計図はずれていくだろうけど意志を通したりうまく変容させたり調整したりしながら)のは、本当に読み手として嬉しいことだ。もちろん行き当たりばったりの作品だって名作は名作だが。
『銀の匙』の、ゆうきまさみ『じゃじゃ馬グルーミンUP』との通底はたぶん嫌というほど言われていると思うんだが、ぱくりとか逆にいや似てないとかじゃなくて、その作劇法と、「手」をつなぐという記号の使い方、そして問題意識という点で、正しい後継者だと思う。
時間がぽっかり空いたのでずっと観たかった「パシフィック・リム」3D吹き替えを観た。うおーうおーうおーしか思っていなかった気がする。もう30分短ければ子どもを連れて行く。でもその30分が失われるのは耐えられないほど大人の我が身には楽しかった。
小島慶子のキラキラの辞め方は随分ナイーヴだなと思ったが(褒めてはいない)、凄くカテゴライズしにくい小島慶子なる人物を勝手にカテゴライズして(例えばフェミとか「オジキ」とか)そのカテゴリーから外れたらdisるという人たちに苦しんでまで耐える気はなかったんだろうなとは思う。憶測。
小島慶子はそれこそ全然違うのではないかな。ジェーン・スーは(少なくともメディアの上では)いったん冷めてみせている。小島慶子は冷めたふうを装っているけれど冷め切れないし冷め切らない。いざ起こるその情動を抑えないことを良しとしているフシがある。その好悪はクッキリ分かれると思う。
上野千鶴子と比較している意見があってそれはおもしろいが、私は全然違うと思う。上野千鶴子は変革を目指している。ジェーン・スーは分析をエンターテイメントしている。どちらが優か劣かではなく、俺には全然違うものに見える。 #utamaru
ジェーン・スーも(宇多丸も)「男ってこうなんだろ」「女ってこうなんだろ」という(無自覚かつ無邪気な)幻想を、きちんと処理したうえでハナシができる頭の良さがある。それがわかっていない(経験値or読解力のない)書き手の意見がTLに紛れていて、なんだかなと思う。(じゃあTL見るな俺)
下の娘がベッドに入ってからもスンスン泣いているのだが上の娘に言わせるとそれは夕方観た録画の『アイカツ』でいちごちゃん?がアメリカに行ってしまうからだそうである。だいじょうぶすぐ帰ってくるよ、とは言わなかった。
RT @Takashi_Shiina: 古い言葉ではたしか「鬼」には「霊」の意味もあったし、「鬼怒」と語呂が合致していたのは意図しなかったとはいえ偶然ではないと思う。企画に何かが宿るときってのはあるしね。
RT @Takashi_Shiina: もともとは芥川龍之介だったかの恋人の名前と、奇々怪々の巫女さんが「小夜」だったので「さよちゃん」にしようと思ったのだけど、直前にうしとらに同じ名前のキャラが出てきたので「じゃあ・・おキヌ」って命名。単に「昔のヒロイン風。田中絹代?」って連…
RT @Takashi_Shiina: 軽巡・鬼怒をゲットしてふと思ったが、「鬼が怒る」ってすごく霊的な力のある名前だよな。「おキヌ」は「お絹」のイメージだったけど、GS美神の世界を考えれば「鬼怒」であるべきだろうなあ。
日常の転倒モノは、とにかくめちゃくちゃ俺の好みの切り取り方。(「スタイリッシュ目玉焼き」タグがついていたらしいな。わかってらっしゃる…)
牛乳を飲んだら背が伸びずに牛乳パックが伸びる、とか、天気予報で台風マークをドラッグするとスタジオ内に雨が降る、とか(しかも落ち着いて傘を差すのが良し)、そして、割れたタマゴをフライパンでテニスのように打ち返すスローモーションで目玉焼きになる、とか(アイデアもアニメも凄い)、
しつこいが、Making of "R"「日本橋高架下R計画」 http://t.co/qeG5HDeL3Q
探偵ナイトスクープの「素晴らしき車椅子の旅」を、感涙必至の感動名作と位置づけるのはたぶん違うのであり、ちょっとおもろいさわやかな佳品とすべきで、そのことこそが放送賞受賞に値する価値なのだ。
深夜にツイートして感性などと恥ずかしい言葉を使ってしまった。恥じ入りながら寝る。
(承前)それと、発想は80年代なんだよなこれ。80年代の発想、90年代の文脈(の無さ)、00年代の小ネタ、10年代の技術。かしらん。そのノスタルジーがサビのせつな明るい調にあう。ディレクターは「Vanishing Point」の細金卓矢。
すっげえぼんやり逃避的に「日本橋高架下R計画」 http://t.co/DOpjT8iGkP というボカロのMVにたどり着いたが、コメントの温度がおよそ自分の感性と異なってて絶望した。年をとった…。文脈のごった煮感がまず最高だと思ったんだが。
これマジか。感涙しか出ない。ベースラインを刮耳して聴け! 「戦え!ウルトラマン」(off vocal Ver) http://t.co/W35yZkgE28
安住本人は、その発言のそれこそ行間を読ませようとしていて、彼自身は言語の変遷・変容を容れてこその学問だと思っているはずなので「く↓まモン」派にちがいないのだな。だが長いものに巻かれてみせているところが真骨頂。 #nichiten
く↑まモン・く↓まモン論争は国語に関わる者必聴。たぶん笠間ツイッターもリツイートするであろう。ちなみに、「漫談」(サンキュータツオ。わかってらっしゃる)のなかでうやむやにしているが、(続く) #nichiten
RT @39tatsuo: 本来であれば「くまモン」の頭高アクセントは、普通名詞だからであって固有名詞的ではない。広く日本ではいま普通名詞的発音が定着しているけれど、これが「売れた人」になると、プロレス愛好家の言う「猪木さん」みたいな平板化アクセント化する可能性もなくもない!!…
RT @39tatsuo: 今日一日考えて、「くまモン」のアクセントは、平板アクセントを支持することにした。これは日本語の潮流にもロマン主義の例外があると面白いと思ったからです。「人口に膾炙すると平板化」という潮流とうまく合流できれば可能な気がする。今後積極的に使用する人を増や…
RT @nichiten954: TBSラジオ 安住紳一郎のポッドキャスト天国(9月15日放送分)「血で血を洗う"くまモン"勢力争い」 http://t.co/ranPIEb1xn #nichiten
しかし安住はホントに「VHS・ベータ戦争」「角福戦争」の喩え好きだな。 #nichiten
(うーん? 80年代ならまだしも、いま「業界人」などという「他者」って存在するんだろうか???)
五輪開催が東京に決まった。良いとも悪いとも思わないのだが、それにしてもよく東京なんて選んだな…。
ニコニコでよくある「○分でわかる~~」って、何か違うんだよな。もっと、受け狙いじゃなくて、YMOの『浮気なぼくら』所収の「以信伝信(予告編)」とか、『大岡越前』再放送のスポンサー紹介の5秒くらいの主題歌つぎはぎのものとか、そういうのが聴きたい。
いっかおやぶんのみなごろし、とか、この人の頭の構造はどうなってるんだろう。
1位は『B型平次』の「カナブン!カナブン!/あっカナブン!」/「満足か」の、「満足か」とその温度と平次の格好と同時に話し始めるハチ、というそのひとコマ。グルーヴの果てにあるこのひとコマ!
2『忍者無芸帖』の藩名を言わずに舌を噛みきったように見える曲者の話(オチが今回掲載されているが)。これをベスト3に入れるとライトなファンだと思われそうでイヤだが、好きなものはしかたがない。
いま思いつくいしいひさいちベストスリー。3『経済外論』小沢一郎が天の岩戸の中編。朝日夕刊でさらりとよくその人名を党首と一緒に出せるな、という素敵なヒトコマも最高。いしいがたまにやる集団ワーワー感が堪能できる。そのあげくのオチがくうだらない!
でも『B型平次』は人に勧めて愉楽を共有したくはない。自ら『B型平次』と出会うくらいの才能がある人としか共有したくはない。そういう意味での才能を持った人がこんなにいることを知れたこの本に感謝したい。
『文藝別冊 いしいひさいち』をようやく読む。労作。『B型平次』がシリーズものでは最高傑作、という作者の弁は、『B型平次』の面白さを他人とわかちあったことがない俺としてはたいへんに嬉しい。
『まどマギ』に関しては、上条くんがさやかに退院したことを全然知らせてない展開の部分で、この作品は信用できる、と思ったことでした。欲を言えば、上条くんの音楽の才能が実は全然客観的にはたいしたことないという展開でも良かったぐらいだ。
工場や建築現場などの描写のフリになっていることは重々分かるが、清潔でのっぺりとした未来的な学校や家や家族の描写は、超ニガテ。最初の数話は、魔女をめぐる描写や演出があまりに素晴らしすぎるから何とか見ていたようなものだ。見続けてよかった…。
『まどマギ』を『ジョジョ』との関連で語る言説はきっとうんざりするほどネットにあるんだろうなあ。ちくしょう、俺は『まどマギ』を『源氏物語』との関係で述べてみせたい。嘘です。そんな時間はありません。いやまて、「本当の最後の浮舟─『まどか☆マギカ』論」とか本当に誰か書きそうなものだな。
これまでネットで『まどマギ』関連っぽい記述とかTLとかは真っ先に見ないようにしてきたという甲斐があったものだ。
やるべきことはいくつかあるのだが、ようやく少し時間がつくれるようになった。そこでとりあえずHDDに残して後回しにしていたいくつかの作品を見はじめている。まず、『まどマギ』。なにこれ超おもしろい。
大勢で打ち上げているところに、帰る人の見送りに少人数で立ったときの往路の連帯感、さらにその復路の連帯感。こんなこと言語化した人みたことないよ! #utamaru
RT @janesu112: 中年女向けファッション誌が軒並み現実感なくて厳しい件(私見)。中年女の「ちょうどいい」が見当たらない。尖り過ぎず保守過ぎず、若づくりではなく若々しさと愛嬌が滲む感じ。年とらないように息止めてる我慢大会や、年とったら金も文化も豊潤スタイルや、誰かの嫁…
「カメラ!カメラ!カメラ!」みたいだ>「メガネ!メガネ!メガネ!」 #utamaru
「駿特有のゴーグル男子萌え」 #utamaru
そう考えると、眼鏡込みでのハンサム・美人と、眼鏡をかけているけど外すとハンサム・美人、という矛盾する二つの記号性を眼鏡は持っていることになるのかしらん。 #utamaru
『シティーハンター』の槇村を眼鏡男子として挙げられたツイートを見て思ったが、北條司は『キャッツアイ』で浅谷を「ブス」として扱わせている。つまり、北條司のなかでは、眼鏡は美醜でいえば醜なんだな。だけどもそれを外すと実は美人・ハンサム、という記号。 #utamaru
緑は女の子!と無意識に思っていた俺は完全にパワーパフガールズ脳だった。
出勤まぎわに遠目で観ていた「クックルン」の緑の子を男の子だと知って衝撃をうけている。確かにボーイッシュ設定にしては容赦ない男感(?)だなあとは思っていたのだけど…。
密通の罪によって配流された筑紫(ちなみに数日後に雷雨)から<外部>の力(=中国マネー)を得て中央に復帰し人臣の極みに登る指原某とはそれなんて光源氏。
慄然とした。フォローしていただいたことももはや忘れて思い出せないが、ほんの少しでもそこに関わりはあった。ご冥福とご家族の今後のご多幸をお祈り申し上げる。こういうことは見えないけどきっとどこかであったことでもあるのだろう。
RT @moretazan: 2010年6月3日朝、眠ったまま亡くなっていた主人。あれから3年。当時はこんなツールがあることも知りませんでしたが、この場を借りてその節はたくさんの方に送っていただきありがとうございました。ターザンは今日も空からみなさんの幸せを祈っていると思います…
私の通勤の友の「アシッドたんぱ大放送」についてつぶやいたら高野政所さんと浮き輪さんからリツイートしてもらった。嬉しかった。もしもう一度見てもらえるのなら伝えたい。「俺は『パイナップルアーミー』が大好きです」と。
たまたま行き着いたthe brilliant green「Bye Bye Mr.Mug」。 http://t.co/eX1KUtJfYo 別にブリグリのファンではなかったけれど、あの時代の空気感が攻め寄せてくる…。深夜むさぼるようにエッジっぽい番組ばかり見てた大学生の終わりごろ。
さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ(『長いお別れ』)
さよならする夜の東側/ゆっくり そう ゆっくり暮れる/隣り合わせの明日を待つだけ(夜の東側)
オフ会感覚から始まる大学でのつきあい…。ゾッとしないぜ。もっと、こう、なんだろうな、ガツンと他者と出会ってほしいんだよな。心配することでもないのかな。
RT @kaerusan: YMOの「TAISO」では、トラメガの掛け声がシミュレートされていたけど、あの曲からはじつに「体操」の禍々しさが伝わってきた。
RT @rewichi: タマフル音楽D 小荒井氏は俺が前回タマフルに出させてもらった際、アルカイックスマイルで俺の持ってきたDJやる機械の中音域のツマミを正しい位置に戻してくれた人物、平たく言えば神です
のべつまくなく話しかける老男性客に愛想よく相手をする女性店員。「ホスピタリティも大変だな」と思ってたら、入店してきた同世代の身なりの良い一人客を隣に座らせた。黙りがちになった。巧いな…。〈社会〉に引き戻したのだ。これが真のホスピタリティか…。
駅7(!)を発表するごとに地味にBGMが変わる点に、その必要があるのかと思いながら聴いていた。むろんいい意味でだ。 #utamaru
ライムスター『ダーティーサイエンス』購入。やっぱり「ゆめのしま」が良すぎるなあ。「音速以上で回転中/時速十万キロで公転中」の譜割りが最高。
帰宅したら長女が俺に「今日テレビ見てたら社長が出てたよー!」というのだが、これは劇団ひとりのことだとピンときた。俺が『ウレロ』ばかり見ているからだ…。(相方は苦い顔)
(承前)なお以上の私見は、「受験制度自体のドラスティックな改革」は度外視して述べたのであしからず。怒りにまかせて書き殴ってしまった。仕事に戻ろう。
(承前)ただでさえ国語の「とれなさ」で、理系の平均は文系より低めであるのだから、思い切って、基本的には誰でもぼちぼちとれる問題を目指すようシフトチェンジすべきだと私は思っている。授業をまともに受け、日常的にコミュがとれる力があれば、160点とれて当たり前、という設定に。
(承前)少なくとも過去2、3年の、三大予備校のセンターパックとZ会あたりのセンターパックはチェックしないのか? 本当に馬鹿じゃないのか? 近世の未見の、でも未見には未見の理由があるような変な文章を、重複を避けて出題するのも芸がないとは思うが、今回の失態的出題の愚はその比ではない。
(承前)長くなったのでもうやめるが、あとは『松蔭中納言』。良問だと思うが、とにかく難しい。長い。20分じゃ無理だよこれ。そして、Z会のセンターパックが、この部分どんぴしゃだったと聞いて、怒髪天を衝いたよ私は。作成者にまともな高校教員はいないのか!
(承前)受験で使えるかどうか、なのだ、残念ながら。特に小説は文学部以外、ほぼセンターでしか出題されない。そうした現実と向き合いすりあわせを計りながら(謀りながら)少しでも国語の授業の内容を良くしていこうとしている志をズタズタにしているのが今回のセンターだったというと、言い過ぎか。
(承前)まだ、まともな評論+牧野信一、または、小林秀雄+まともな小説問題、なら良かったのだ。いや、まともな評論+小林秀雄、でも面白かったかもしれない。だが、小林秀雄+牧野信一は、無い。受験問題は受験問題、と考える向きもあろうけど、実益という観点での子どもにとっての「国語」の価値は
(承前)どこぞの文学青年がちょっと方法を意識して書いてみました、という程度の作品を持ってきて、親子の葛藤、小説内小説の面白さ、といった文学的価値を僭称したような設問を作るな。女性一人称小説と大正・昭和初期の小説を持ってきた近年の流れは良いと思っていたのだがね。
(承前)次に牧野信一。これは一言で済む。「これを出すヤツは文学殺し、国語教育殺し。」牧野自身、安吾の先生ぐらいにしか私は評価できないし、しかもその初期作品。高校生はこの問題解いて、牧野やその周辺の小説を手にとってみよう、とは絶対に思わない(面白半分以外)。
(承前)これは「脱ゆとり」でも何でもない。むしろ「ゆとり」はエリート特化の謂であるのだから、この大問は「疑似ゆとり」かな。偏重した文学趣味エリートに特化。いや、東大第四問や京大・阪大で出すのなら別にいいのだ。むしろ出しても面白いと思う。だが、センターの第一問で出すのはあり得ない。
(承前)もちろん私も、そうしたパターン学習で身についたものを読解力などとは言いたくない気持ちはある。国民国家の過去問を予備校や進学校で繰り返した首都圏の生徒ばかり東大に行く状況への危惧もわかる。しかし、20万人受験するセンターで、苦手な子が全然とれない性質の問題だけ出すな。
(承前)そして文学好きな大人は「この程度の文章」が「読めない」今どきの子どもの読解力の低下を嘆くだろう。理系で、どんなにがんばっても行間を読むのが苦手で、それでも受験で出るから必死に過去問解いて段落把握や語句の暗記、パターン学習を繰り返すしかなかった子どもたちを。
(承前)易しい設問でバランスをとろうとしたのだろうが、国語嫌い、国語の授業嫌いはますます増えるだろう。文章を読むのが苦でない子(勉強しなくても現代文がそこそことれる子)はスッと解けてしまう。これが読めない子はなぜ読めないのか、「力のない」自分を責める。
(承前)小林の文章はかつて丸谷が述べたように論理的にみえて感覚に逃げるところがある。むろんそこに味があるわけだが、それを入試問題で出すのは愚の骨頂だ。とりわけ昨今の中等国語教育で国はしきりに論理力の育成を声高に述べているのに、そのゴール(の一つ)でこれか。これなのか。
センター国語、平均点の中間発表98点。繰り返すが本年の作成陣は万死に値する。2年続けて易しくなったので(特に去年が高すぎ)今年は「難化」させなければならない。だがそこで、じゃあ小林秀雄だ!、という底の浅さ。正しく難しくすることからの逃げ。解けなかった受験生は自分を責めないでほしい
「読み方」は与えられるものだ、ということが、実感としてよくわかる。むしろ、あのころ、テレビの前で立ち尽くして番組を浴びていた私は、いったい「何を」観ていたのだろうか。(ありがち評論ふうに終わり)
ガンダム(再)もマクロスも、その当時は、浴びていた、としかいいようがない。全く意味はわかっていなかった。ガンダムやマクロスやルパンを「発見」するのは、世の好事家的大人の見方を追体験してからなのかもしれない。
小2の娘が宇宙への行き方、帰り方、格好に興味を持ち始めたので、ガンダムの「大気圏突入」の会を見せた。楽しく見たのだが終わって一言、「でもこれ、アニメだよね」。こうして娘は父から離れていくのか…。
RT @tako_ashi: 歌会始の中継を見せると14歳以下の子供は必ず笑い転げる。例外は無い。オレら大人は何かを抑圧しながら視聴してるんだと思う。何を抑圧しているのかについてはいつか有料メルマガに書く日が来るかもしれない。
この二人の女子高生がそれぞれポニーテールだったら完璧だった。これがホントのポニーテールと守株。
東京大雪。出勤時、信号待ちしてたら少し先で女子高生が転んで腿が露わになった。あららと思ってたら、また別の女子高生が転んで腿が露わになった。私は、仁政に基づいた、周代の如き聖代の到来は、待てば存外たやすく実現するのではないかと思った。
すり切れたダビングテープを使い回していた学校関係者にとっても僥倖のはずである。大杉久美子と子どもたちのコーラスによる「チェチェコリ」。♪腰を振って!サッサ振って!ホンマンチェチェ! http://t.co/7QrMrPIA
というより、その音源を入手できたことに驚嘆。どこをdigしたら見つかるのだろう!そして、これは大きい出来事である。今までいろんな人が気になっていた音源が、デジタルデータとして誰でも聴ける状況に置かれたのは大変有り難いことである。その一助となれたことはとても嬉しい。
ある方からメールあり。小学校の玉入れなどで用いられる「チェチェコリ」(または「チェッコリ」)の音源について私がかつてまとめたものを読んで、その音源(レコードだろう)を手に入れ、youtubeにupするが、参考にした旨、言及してよいかとのこと。二つ返事で了承。
「大変なんだ、プライドとともに生きるというのは」名言だな #nichiten
録画してあった『情熱大陸』吉田豪編をちょこちょこ観る。パンダ1/2Tシャツ!ちなみに、パンダ1/2のCD「上海に行くつもりじゃなかった」のspecial thanksには「GO YOSHIDA」なる人物名がある(ちなみにJUN MIURA」なる人物も)
Thu Jan 03 14:24:39 +0000 2013